月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年11月1日(月)

ヨブ3-5章 わたしの生れた日は消えうせよ

なぜ、わたしは母の胎にいるうちに
死んでしまわなかったのか。
せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。
なぜ、膝があってわたしを抱き
乳房があって乳を飲ませたのか(ヨブ3:11-12)

 厳しい試練を受けたとき、ヨブは「神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこう」(2章10節)と信仰の態度を表明しました。しかし、現実の苦しさは「わたしの生まれた日は消えうせよ」(3章3節)とまでの絶望にヨブを追い詰めました。信仰によって生きていこうと思っても、心の底ではなお呻き続け、それを抑えられないことがあります。

 そのようなとき、私たちは生きていることさえ否定したくなります。一体、なぜ神は「悩み嘆く者を生かしておかれるのか」(同20節)、このような悩みや嘆きを抱えたまま生きていくことにどんな意味があるのか、と神に問い迫ることもあります。心の痛みがあまりにも深いとき、いくら自分を信仰へと奮い立たせようとしても、自分の力ではどうすることもできません。

 そのようなとき、自分を信仰の弱い者と思わないでください。ヨブもそうでした。ヨブの苦しみを理解し、そこに自分の苦しみを重ね合わせてみるために聖書を開く。これも、私たちの聖書の用い方です。

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