月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年8月21日(土)

ルカ3章 洗礼の列に連なる主イエス

民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け…(ルカ3:21)

 多くの人びとが、洗礼者ヨハネの言葉に耳を傾け、悔い改めてヨルダン川に身を沈めています。自分が生きてきた人生、そこで犯した数々の過ち。それらに胸を打ちながら、新しい人として生きるための祈りをささげています。その洗礼の列に、民衆と同じように並ぶ主イエスの姿を想像してみてください。

 悔い改めとは、方向転換をすることです。神を離れ、自分中心の生活を、後生大事に守ってきた。それが私たちの姿です。聖書は、そのような自分主義のあり方を「罪」と呼んでいます。その自分主義から方向を転じて、神に向かって生きること。それが悔い改めです。

 本来なら、この悔い改めの洗礼は、主イエスには不必要です。しかし、主は、あえて罪人の列の中に入ってきてくださいました。そして、その主に、天が開かれるのです。この事実は、まことに重大です。主イエスに対して開かれた天は、主を信じて洗礼を受け、主に結ばれて主に祈る者にも開かれています。このような明るい展望が、今日も、私たちの前に開かれています。

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