月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年7月21日(水)

ゼカリヤ7章 飲むにも食べるにも神の栄光を

「あなたたちは食べるにしても飲むにしても、ただあなたたち自身のために食べたり飲んだりしてきただけではないか。」(ゼカリヤ7:6)

 7章の記事は、最初の預言から2年後の紀元前518年のキスレウの月(11月か12月)のことです。ここには、北イスラエルのベテルの人びとが、再建されつつあるエルサレム神殿の祭司や預言者たちに尋ねた問いと、そのときゼカリヤに示された主の言葉が、記されています。

 問いは、これまで行われてきた断食が真実なものであったかについてです。主からの答は、否です。主は、ゼカリヤを通して、「あなたたちは食べるにしても飲むにしても、ただあなたたち自身のために」してきただけだ、と断罪されます。70年間続けてきた断食は、本来なら、自分たちの罪に対する神の裁きを心から悲しみ、悔い改めと新しい服従に生きるためになされるはずでした。しかし、それらは、形式化し、神のみ前に自分たちと先祖の罪を悔い改めるものではなくなっていたのです。

 ここで、私たちの信仰生活の本質が問われています。それが一体誰のためであり、どこに基盤を据えて営むべきか、ということです。まことの悔い改めをもって、ただ神の栄光のために生きようではありませんか。

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