月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年11月5日(木)

マルコ15章 十字架の叫びに生かされ

イエスは大声で叫ばれた。…
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」(マルコ15:34)

 「まことの罪人はイエス・キリストだけだ」と言った人がいます。罪人として神に見捨てられて死ぬことが、どれほど恐ろしいかを知っているのは、主イエスだけだからです。主は十字架で、私たち罪人が負うべき本来の死を、味わわれたのです。

 ですから、私たちはもう、主イエスのように絶望の叫びを上げて死ぬことはありません。私たちの苦しみの中で、神に知られていない苦しみは何一つありません。神を見失うほどの絶望の淵にあっても、十字架は見えるのです。主イエスの声だけは消えることなく響いています。

 また、十字架の叫びは、神への祈りでもあります。私たちも主の叫びに導かれ、神に向かって嘆き、祈ることができます。主が私たちの代わりに十字架の上で祈ってくださったからです。「神さま、なぜですか。わたしを見捨てないでください」と。

 私たちも苦難の中にあるとき、つぶやくのでも、誰かに文句を言うのでもなく、神に向かって嘆きながら、祈りましょう。祈りながら神の言葉を待ちましょう。神と共に歩む喜びが、そこに溢れます。

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