月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年9月24日(木)

マルコ1章 権威ある新しい教え

人々はその教えに非常に驚いた。
律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。…人々は皆驚いて、論じ合った。「…権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」(マルコ1:22-27)

 主イエスが汚れた霊を追い出されたとき、人々は「権威ある新しい教えだ」と言って驚きました。主イエスの教えが悪霊を追い出したことを、人びとは認めました。

 ところで、マルコは、洗礼者ヨハネや主イエスの十二使徒が「教えた」という言葉遣いをしません。主イエス以外の人たちがやったことは、「宣べ伝えた」とか「宣教した」です。「教えた」というのは、主イエスだけに用いられているようです。また、教えとは、個々の教訓や命令ではなく、主イエスの教え全体のことです。

 イエス様の教え全体は、権威があるのです。人を闇の支配、死と滅びの世界から、光の世界、救いと命の世界へ救い出すことができる、そういう権威と力があるのです。ただ奇跡に驚くのではなく、人を救うことができる権威ある教えが、驚くべきことなのです。

 そして、教えに権威があるのは、主イエスの存在そのものに権威があるからです。主イエスは、神の子であり、かつ、いつも神の御旨を求めておられました。本当の権威とは何かを、主の教えから学びましょう。

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