月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年8月20日(木)

使徒21章 恵みによる覚悟

そのとき、パウロは答えた。「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」(使徒21:13)

 「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも覚悟しているのです。」主イエスのためにどのような死に方をするかわからないが、いずれにせよ主イエスのために死のうと心を決めているというのです。そして、パウロは、覚悟のとおりに進んでいきます。

 かつて、ペトロもイエス様に向かって同じようなことを語りました。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(マタ26章35節)。しかし、その時には、その言葉どおりに行動できませんでした。

 パウロの覚悟とペトロの覚悟と、その両者の違いは何でしょうか。あの時のペトロは「たとえ、みんながつまずいても…」と語りました。しかし、パウロは「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」(1コリ15章10節)と語ります。パウロの覚悟は、彼の強さによるものではありません。御心のままに望ませ、行わせてくださる神の恵みによるものです(フィリ2章13節)。

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