月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年8月8日(土)

使徒17章 聖なる憤慨

パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。(使徒17:16)

 パウロはアテネの町の至るところに偶像があるのを見て憤慨しました。言いようもない怒りが腹の底からこみ上げてきたのです。キリスト者となる前のパウロだったなら、そのような怒りよりも、偶像を拝む異教徒の人々を愚かな民と見下げ、軽蔑の思いを抱いていたかもしれません。しかし、今のパウロは、アテネの人々への尊敬を失うことなく、憤慨しています(22節)。

 彼は何に憤慨したのでしょうか。何ものにも依存しない神の栄光が侮られていることに憤慨しました。「世界とその中の万物とを造られた神が…何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません」(24、25節)。また、アテネの人々が無知の中に閉じこめられていることに憤慨しました。「わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません」(29節)。

 私たちにも、このような憤慨が必要です。キリストの愛に強く迫られて抱く聖なる憤慨です。

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