月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年6月13日(土)

ガラテヤ6章 十字架だけを誇るパウロ

このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。(ガラテヤ6:14-15)

 割礼を受けること、つまり律法を守ることによって義とされようとする人は、この世の価値観、自分の力を誇りとする古い生き方にとどまり、恵みを無にしています。その人は、聖霊なる神を求めません。なぜなら、自分の力でできると、たかをくくっているからです。

 しかし、キリストを信じる信仰によって義とされることを願う人は、ただ聖霊に依り頼む以外にありません。救いとは、ただ恵みによって、聖霊の賜物によって、上から、神から、新しく創造されることだからです。どうして、自分の能力などで救われることができるでしょうか。

 それなら、聖霊に依り頼んで生きるには、どうすればよいのでしょうか。それは、パウロがこの手紙の末尾で強調しているように、主イエス・キリストの十字架だけを誇りとすることです。これが、新しく創造された人の生き方の原理です。

 じっと十字架を見続け、そっと祈り始めてください。神との関係が新しく正された人は、この世の安心とは全く違う、神の平和と憐れみで満たされていきます(16節)。

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