月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年5月26日(火)

エゼキエル22章 時代の鏡

国の民は抑圧を行い、強奪をした。彼らは貧しい者、乏しい者を苦しめ、寄留の外国人を不当に抑圧した。(エゼキエル22:29)

 銀・銅・錫・鉄・鉛など有益な金属と見なされた神の民も、今や腐敗しきって金滓となってしまい(18節)、流血・強奪・姦淫・弱者へのしいたげが満ちていました。すべての根底に、真の神への恐れを知らない冒涜があります。

 聖職者であるべき預言者や祭司、権力を持つ政府高官、そして都全体・民全体がそうでした。ある意味でこれは私たちの時代を映す鏡でもあります。このような時に、救いの望みはなお残されているのでしょうか。

 腐敗した国を救うのは、偉大な政治家や強力な軍隊ではなく、神の言葉に堅く立つ真の預言者です。捕囚となっていたエゼキエルは、孤軍奮闘していたのでしょうか。それとも、一世代ほど先輩の預言者エレミヤとの交流があったのでしょうか。

 とにかくエゼキエルはこのような状況下で預言者として立ち続け、語り続けました。「主の言葉がわたしに臨んだ」からです(1、17、23節)。今日の危機の時代に、主の言葉に立ち続けるべき預言者として、私たちも召されています。託された神の御言葉を拒むことはできません。

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