月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年4月25日(土)

1コリント9章 権利を放棄するという自由

では、わたしの報酬とは何でしょうか。
それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです。(1コリント9:18)

コリント教会には、使徒パウロに対する批判がありました。パウロはテント造りで自給伝道し、使徒としての報酬を受け取っていませんでした。コリント教会のある人々は、報酬を受け取れるような働きをしていないのではないかと思い、真正な使徒であることをも疑ったようです。

 パウロはまず、自分には使徒として報酬を受け取る権利があることを主張します。なぜなら、主は、福音を宣べ伝える人たちは福音によって生活の資を得るように、と指示されたからです。しかし、パウロはそう言った後で、自分はこの権利を利用したことがありません、と語ります。パウロは、自らの意志で自発的に自由に諸教会に仕えるために、この権利を放棄していました。パウロはこの権利にしがみついて生きようとはしていませんでした。それがパウロの自由さの秘訣でした。

 自由は、権利を主張するためだけにあるのではありません。権利を放棄する自由もあります。義務で行い、権利を行使するだけなら、そこに自由はありません。自ら喜んで仕えることで、私たちは自由に生きるのです。

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