月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年3月13日(金)

マタイ25章 人生を測るもの

「そこで、王は答える。
『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」(マタイ25:40)

 主イエスは、全く取るに足らない小さな私たちの業を、決して見落とさずに拾い上げてくださいます。それどころか、喜んで受け取ってくださいます。さらに、そのお返しに御国を継ぎなさいと語ってくださいます。これは、37節にありますように、驚くしかない出来事です。

 主イエスが、お礼に天の御国を受け継がせると約束なさったその理由となる愛の業を、それをした本人たちは、全く忘れてしまっています。私たちの人生は、この世の尺度で測られる業績の大きさによって決まるのではありません。自分で測ることもできません。それは最終的に主イエスの目によって見積もられて、この主イエスの見方で評価されます。そのとき、私たちが忘れるほどの小さなことも覚えられています。

 信仰者として生きるとは、小さくても具体的な愛の業に生きることである、と主イエスが言われました。その最も小さい者とは誰なのかと問いましょう。自分の傍らにいる最も小さな一人への愛を、大きく具体的な課題と据えて歩むところに、私たちの進むべき道が開かれています。

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