月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年1月27日(火)

コヘレト2章 神の手から

一生、人の務めは痛みと悩み。夜も心は休まらない。これまた、実に空しいことだ。人間にとって最も良いのは、飲み食いし自分の労苦によって魂を満足させること。しかしそれも、わたしの見たところでは神の手からいただくもの。(コヘレト2:23-24)

 コヘレトは、ここでは王侯君主として登場します。権力者の立場は、実力で勝ち取る場合もありますが、親から受け継いだものとか、偶然、その地位を得たとか、実力や努力によらない場合も多くあります。どちらにせよ、幸運な星のもとに生まれた人と、一般には、思われています。

 コヘレトは、英雄として、快楽を追求できる立場にありました。この幸運は、誰もが得られるものではなく、特別な一部の人だけの特権です。コヘレトは、その特権を得、喜々として、快楽の極みを追求しました。

 しかし、コヘレトは、結局は、空しいわざであったと、悟ります。私たちは、コヘレトほどの快楽探求をしたことがありません。だから快楽を求め続けているのかもしれませんが、それでもコヘレトが語る意味を、信仰の光のなかで理解できます。

 どんな美食でも、それだけなら、後に空しさを残します。しかし、神からの祝福として受け取るなら、感謝が生まれます。空しさを変えるものは、一切が神から来ていることを発見することです。その神の手から、喜怒哀楽のすべてを受けることです。

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