聖書を開こう 2021年1月14日(木)放送

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  思慮に満ちた交渉(ルツ4:1-8)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 古代ローマ法には、握手行為と呼ばれる制度がありました。これは奴隷や家畜などの売買の際に、所有権が買い手に移ったことを示す行為でした。そのために5人以上のローマ市民が証人として必要でした。

 きょう取り上げようとしている箇所には、古代イスラエルの法的な手続きが登場します。「親族としての責任の履行や譲渡にあたって、一切の手続きを認証するためには、当事者が自分の履物を脱いで相手に渡す」という認証手続きが必要でした。そのためには10名の長老たちの証人の前で、履物を脱いで渡すという行為が必要でした。

 作法は違っていても、共通するのは、証人たちを前に特定の所作を行うということです。本来、人間が自分の約束に忠実であれば、こんな行為も証人も必要としなかったでしょうが、罪ある人間社会にはそうした手続きはどうしても必要です。

 もっとも、このような制度が生まれるのは、人間が誠実ではないからという理由だけではありません。第三者に対して、自分の権利を守るという意味でも大切な行為でした。

 きょう取り上げようとする個所で、ボアズはナオミやルツを守るために、法的な手続きを怠りなく果たしていきます。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 ルツ記 4章1節〜8節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 ボアズが町の門のところへ上って行って座ると、折よく、ボアズが話していた当の親戚の人が通り過ぎようとした。「引き返してここにお座りください」と言うと、その人は引き返してきて座った。ボアズは町の長老のうちから十人を選び、ここに座ってくださいと頼んだので、彼らも座った。ボアズはその親戚の人に言った。「モアブの野から帰って来たナオミが、わたしたちの一族エリメレクの所有する畑地を手放そうとしています。それでわたしの考えをお耳に入れたいと思ったのです。もしあなたに責任を果たすおつもりがあるのでしたら、この裁きの座にいる人々と民の長老たちの前で買い取ってください。もし責任を果たせないのでしたら、わたしにそう言ってください。それならわたしが考えます。責任を負っている人はあなたのほかになく、わたしはその次の者ですから。」「それではわたしがその責任を果たしましょう」と彼が言うと、ボアズは続けた。「あなたがナオミの手から畑地を買い取るときには、亡くなった息子の妻であるモアブの婦人ルツも引き取らなければなりません。故人の名をその嗣業の土地に再興するためです。」すると親戚の人は言った。「そこまで責任を負うことは、わたしにはできかねます。それではわたしの嗣業を損なうことになります。親族としてわたしが果たすべき責任をあなたが果たしてくださいませんか。そこまで責任を負うことは、わたしにはできかねます。」かつてイスラエルでは、親族としての責任の履行や譲渡にあたって、一切の手続きを認証するためには、当事者が自分の履物を脱いで相手に渡すことになっていた。これが、イスラエルにおける認証の手続きであった。その親戚の人は、「どうぞあなたがその人をお引き取りください」とボアズに言って、履物を脱いだ。

 前回取り上げた個所で、ボアズはルツに対して、「心配しなくていい。きっと、あなたが言うとおりにします」(ルツ3:11)と約束しました。またルツからその報告を聞いたナオミも、「あの人は、今日中に決着がつかなければ、落ち着かないでしょう」(ルツ3:18)と語って、ボアズが遅れることなくその約束を果たしてくれることを確信していました。

 その通り、ボアズはさっそく必要な法的手続きを取るために町の門のところへ上っていきます。「上っていく」という表現は、町の内部から門のところへ行ったのではなく、町の外の畑のあるところから、町の門のある場所に行ったということを示しています。『ルツ記』の中では、打ち場へは「下っていく」(ルツ3:3,6)という表現が使われていることから考えて、ボアズが門のところへ上って行ったのは、昨夜過ごした打ち場からであったことが伺われます。つまり、ボアズはルツと別れたその足で、家には戻らず手続きを取りに行ったということでしょう。

 古代のイスラエルでは、町の門、というのは単なる町の入り口ではありませんでした。そこは町で起こる様々な問題を法的に解決する場所でもありました。たとえば、『申命記』21章19節には、父母に従わない十戒違反の息子に対して取られる法的手続きについて、「その地域の城門にいる町の長老のもとに」突き出すように定めています。そのように、町の門というのは、裁判が行われる重要な場所でした。

 当然ですが、門は町への出入りの場所でもありますから、そこで待っていれば、お目当ての人に出会うチャンスは大きくなります。予想通り、お目当ての人物が通りかかります。ボアズは彼を引き留めて、さっそく証人となる長老たちを呼び集めて、手続きを始めます。

 ボアズは法に従って、一つ一つ、着実に事柄を処理していきます。法に従うことは当たり前のことかもしれませんが、しかし、ボアズはそのあたり前のことを忠実に守っていく人でした。

 ボアズは、自分よりも親戚の責任を果たす優先義務のあるその人に、ナオミが所有する畑地についての相談を持ちかけます。ルツに対する親戚としての義務のことはその次に話します。この順番はとても思慮深い話の進め方です。もし逆の順番で話を持ちかけたら、どうでしょう。この親戚の人は、ルツの話を先に聞いて、親戚としての責任をすぐに放棄してしまうでしょう。そのあとで、ナオミの畑のことを持ち出して、それもボアズのものになると話を進めたならば、ナオミの畑を手に入れるために、ボアズはずるい交渉をしたと、この親戚の人にあらぬ疑いを持たれてしまいます。

 この順番で交渉を進めることで、後からトラブルが起きないように、ボアズは賢く物事を進めていきます。この親戚の人は、自分にとって好都合な話を最初に聞いて、二つ返事で首を縦に振りますが、後から聞かされた、自分にとってうれしくない話を聞いて、結局は自分から親戚としての責任を放棄してしまいます。この人のことを必要以上に悪く言うつもりはありませんが、もしかしたら、ルツがモアブの出身であることを聞かされなければ、ルツを引き取ったかもしれません。ルツを引き取りたくない理由は明らかではありませんが、畑を買い取る余裕はあっても、ルツの面倒を見る余裕はないということでしょう。

 第一優先権のあるこの親戚の人は、法に従って、履物を脱いでボアズに渡し、証人の前で、権利と義務がボアズに渡ったことを公に示します。

 ところで、この話の中に出てくる「買い取る」という言葉は、聖書の中にしばしば登場する「贖う」という重要な言葉と同じ単語が使われています。この短い個所で、この「贖う」に関する単語は何度も登場します。新共同訳聖書のこの個所では「買い取る」という訳語のほかに、「その親戚の人」という言葉も、実は直訳すれば「贖う人」という表現です。つまり、この短い個所で問題となっているのは、誰が贖う責任を持っているのか、という問題です。このボアズとルツの子孫から、やがてはまことの贖い主、イエス・キリストが誕生したことは(マタイ1:5)、決して偶然ではないでしょう。

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