キリストへの時間 2021年2月28日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下朋彦(平和の君教会牧師)

山下朋彦(平和の君教会牧師)

メッセージ: 二つの家族



 おはようございます。広島にあります、平和の君教会の山下です。
 前回、映画を取り上げたので、今回も同様にします。そのタイトルは「リバー・ランズ・スルー・イット」です。第一次世界大戦後のアメリカ、美しいモンタナを舞台とした長老派牧師家庭を描いた作品です。若き頃のブラッド・ピットが弟役で登場し、話題もさらいました。

 物語は、お父さんのマクレーン牧師が厳格なキリスト教の教えに従い、子どもたちを育て、フライフィッシング、渓流釣りの技術を体得させます。兄のノーマンは物静かで書くことが得意、後にシガゴ大学英文学教授となるまじめな人物です。対照的に弟のポールは、渓流釣りは天来の能力を持ちながら、自由奔放な生き方を選び、やがてギャンブルにはまり、遂に賭け賭博相手に残忍に殺されてしまいます。お父さんを始めお兄さんや家族はそんなポールを心配し、何とか助けようとするのですが、家族の絆からスルリと滑り落ちてしまうのです。私が映画館で観た28年前、美しい自然や渓流釣りの妙に関心がいったのですが、今振り返ると、どんなに家族愛が深くても、そこから離れていってしまうこともあるのだ、親しい家族の結びつきの難しさを改めて思わせられました。

 長々とお話ししたのは、聖書に有名な「放蕩息子」のたとえが出てくるからです。そのたとえの最後に、弟息子の帰還を喜ぶ父親が兄息子の腹立ちをなだめようとする言葉があります。それが先程お読みした箇所(ルカ15:31-32「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」)です。

 聖書に登場する家族もまた、先のマクレーン牧師の子どもたちと同様、まじめな兄と奔放な弟で構成されています。そして再び父親の元に戻って来たとは言え、弟息子はしたい放題をしていたに過ぎません。本来なら、父親はそれを厳重に叱るべきなのに、それをしていませんし、兄息子の言い分も間違ってはいないのです。この二人の父親のうち、どちらが優れているのか。それは、人間的にはマクレーン牧師の方でしょう。

 しかし聖書は、父なる神様を正しいとするのです。なぜなら父なる神様は憐れみ深いお方で、私たちを無条件に受け入れてくださるからです。そうでなければ神様の元へ帰っていくことはできません。けれども神様は何でも赦されるのではありません。そこに独り子のイエス・キリストの十字架の代償が払われているのです。表向きはまじめに見える兄息子も、神の前では自己中心な罪人であることに変わりはありません。誰一人、きよい神様の前に正しい者はいない、そこに聖書の救いの恵みの大きさが示されているのです。

 どうか、あなたも自分の罪を神の前に認め、悔い改めて、父なる神様のみ元に帰っていかれないでしょうか。そのためにご自身を十字架に献げられたイエス・キリストがおられることを是非知って頂きたいのです。



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