キリストへの時間 2021年1月24日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

唐見敏徳(忠海教会牧師)

唐見敏徳(忠海教会牧師)

メッセージ: ルールの心得



 おはようございます。今月のメッセージを担当します、忠海教会の唐見です。

 昨年の春頃、新型コロナウイルスの感染者が急増した「第一波」の頃に、「自粛警察」という言葉が使われるようになりました。自粛とは本来、自ら粛む(つつしむ)、ということで、他人の行動を非難あるいは否定することとは無関係のはずですが、緊急事態宣言のもと、社会のさまざまな場面で活動の自粛が要請される中、要請に応えない人々への私的な攻撃が社会問題化するようになりました。

 自粛警察の内容として、休業要請に応じない店舗への貼り紙や破壊行為、混雑する場所に出かける人やマスクを着用していない人々への過度な注意、またフェイスブックやインスタグラムなどにそれらの店舗や個人が特定できる情報を公開して不利益を被らせることなどが挙げられます。自粛警察の人々は、本来ルールは守るべきものであって、ルールを守らない人々は当然罰せられるべきであり、自分たちは社会のために必要なこと、正しいことを行っているのだと主張します。しかし、彼らの抱く正義観には、明らかにいびつな何かが含まれています。

 聖書の中にも同様の事例があります。それは律法を巡る論争です。新約聖書にファリサイ派や律法学者と呼ばれる人たちが登場しますが、まさに彼らはルールを守ること、また守らせることに熱心なグループでした。そのような彼らに対して、イエス・キリストは彼らの誤った律法観とそこから引き起こされる意味のない実践について、厳しく指摘されました。

 十戒に代表される律法は、もともと神の民イスラエルへの祝福でした。十戒の最初の言葉はこうです。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」(出エジプト20:2)律法は本来、神が御自身の民イスラエルを愛しておられるがゆえに与えられたルールだったわけです。

 そして、律法にはさまざまな項目が含まれていますが、究極的には「愛」に要約されます。イエスは律法に関する問答の中で「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」(マタイ22:37-39)と語られました。主なる神が律法を通して求めておられることとは実はとてもシンプルで、主なる神を心から愛し、隣人を自分と同じように愛することです。

 しかし、この「愛する」というシンプルなことを守りえない現実があります。ここに律法の持つ二つの相反する面が浮かび上がってきます。それは神が御自身の民を愛するがゆえに与えられたという祝福の面と、しかしながら神の民がそれを守りえないゆえに生じる呪いの面です。使徒パウロは律法について、ローマの信徒への手紙の中で、律法が本来良いものであることを認めつつ、「律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされず」「罪の自覚しか生じない」(ローマ3:20)と語ります。

 そして、この律法に関するジレンマを解決する唯一の存在としてイエス・キリストがおられるのだとパウロは続けます。ただお一人、律法を完全に成し遂げられた主イエス・キリストを信じることによって、私たちは律法の呪いから解放されるのだと。

 そこで律法、また社会の様々なルールについて考える時、私たちが立てるべき問いは「イエス・キリストであればどのように考え、またどのように行うのか」に辿り着きます。この問いの答えを見つけるための手がかりは聖書の中にあります。ここに、私たちが聖書を読むべき理由があります。



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