聖書を開こう 2020年2月20日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  御子のうちにとどまれ(1ヨハネ2:24-29)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 先日、ある人とキリスト教の異端ついて話しをしました。友人に誘われていった先が、異端の集会だったの言うのです。わたしは興味深くその話を伺いました。というのは、どうしてその集会が異端であると思ったのか、その点に関心があったからです。

 確かにその集団には、よからぬ噂が広まっていますので、先入観で異端だと決めつけているのではないかという思いも半分ありました。そこで、何故その集団が異端だとわかったのか、率直に訪ねてみました。

 返ってきた答えは二つでした。一つは、誘われた集会は、宗教とは全く関係のない目的だったのに、行ってみたら、結局は自分たちの教えを布教することが目的だったこと。もう一つは、聖書とは別の大切な書物があると言われれ、勧められたことでした。

 一つ目の理由は、異端かどうかというよりは、約束が違う話です。行ってみたら話が違うのは異端というより、詐欺と言われても仕方ありません。

 大切なのは二つ目の理由でした。聖書とは他に真理の書物がある、と聞いた時に、おかしいと思った、というのです。聖書を理解するための手引書ならまだしも、聖書が明らかにしていない真理が、あたかもその書物の中にはあるかのように思わせるのは変だと感じたそうです。その人自身はもちろん、神学者でもなければ、特別に長い信仰歴がある人でもありません。それにもかかわらず、核心をついた答えに感心しました。

 ヨハネが書いたこの手紙を受け取った人たちも、まさに異端的な教えに直面していました。ヨハネはそうした状況にある信徒たちを守るためにこの手紙を書いています。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 ヨハネの手紙一 2章24節〜29節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 初めから聞いていたことを、心にとどめなさい。初めから聞いていたことが、あなたがたの内にいつもあるならば、あなたがたも御子の内に、また御父の内にいつもいるでしょう。これこそ、御子がわたしたちに約束された約束、永遠の命です。以上、あなたがたを惑わせようとしている者たちについて書いてきました。しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。それは真実であって、偽りではありません。だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい。さて、子たちよ、御子の内にいつもとどまりなさい。そうすれば、御子の現れるとき、確信を持つことができ、御子が来られるとき、御前で恥じ入るようなことがありません。あなたがたは、御子が正しい方だと知っているなら、義を行う者も皆、神から生まれていることが分かるはずです。

 前回取り上げた個所には、「反キリスト」と呼ばれる人たちのことが取り上げられていました。彼らがどんなことを主張して、クリスチャンたちを惑わしていたのか、残念ながら具体的なことは記されていませんでした。しかし、使徒たちが伝えてきた事柄とは、明らかに反することを主張していたことは間違いありません。

 このような状況にある信徒たちに、ヨハネは「初めから聞いていたことを、心にとどめなさい」と勧めています。

 そもそもヨハネは、この手紙の冒頭で、自分たちが見たり聞いたりしたことを伝える、と書いています。それは、イエス・キリストと直接会って教えや御業を見聞きした使徒たちから伝えられたものです。その核心には永遠の命に関わるイエス・キリストのリアリティがありました。

 ヨハネにとって、立ち戻るべき原点は、この「はじめから聞いたこと」にありました。確かに、何を聞いたか忘れてしまったり、あいまいになってしまったならば、間違った教えが入りこんできても、違いにさえ気がつくことはできません。これは信仰生活を送るうえで、とても大切なことです。

 ヨハネがここで語っていることは、とてもシンプルなことですが、とても大切な事柄です。信仰に入るときに、何を教えられ、何を学んきたのか、それを繰り返し繰り返し、記憶の中に、そして心の中に、とどめておくことが大切です。基本があいまいであれば、その上に自分の信仰生活を構築することなどできるはずもありません。

 このことは、単なる知識の記憶の話ではありません。ヨハネにとって、それば、父なる神と御子イエス・キリストとの交わりの中に生きること、永遠の命と深く結びついている事柄でした。

 ヨハネは、永遠の命に係わる真理は、知的に理解するだけのものとは考えていませんでした。それは聖霊が働くときに得られるという意味で、人間の知恵や知識に依存するものでは決してありません。

 ヨハネはこう記しています。

 「いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。」

 「注がれた油」という表現は、聖霊を象徴する表現です。神の子イエス・キリストのもとから聖霊が遣わされるとき、理解を助けられ、真理を悟らせていただくことができるのです。そういう意味で、反キリストの出現は、信仰者にとって防ぎようのない絶望的な状況では決してありません。ただ、大切なことは、聖霊に謙虚に信頼して生きることです。

 「教えられた通り、御子のうちにとどまりなさい」

 聖霊によって与えられたこの真理の教えに従って、聖霊の力に信頼して御子のうちにとどまり続けることが大切です。御子の内にこそ永遠の命があるからです。

 ヨハネはこの命の交わりの中に人々を招き入れ、そこに人々がとどまり続けることを望んでいます。その思いは、この番組を続けているわたしたちも同じです。この番組を聴いている方たちが、神との交わりの中に生かされて、永遠の命にあずかるようにと、心からそう願います。そのように聖霊がひとりひとりに働きかけてくださるようにとお祈りいたします。

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