ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
「楽しくなければ、教会ではない」という意見に対して、「教会はサロンではないから、楽しみに来るところではない」という意見を聞いたことがあります。おそらく言葉は違っても、教会の在り方に対して同じような対立した意見は、他にもあるかもしれません。どちらの意見が正しいか、というよりは、どちらの意見にも正しさがあるように思います。
そもそも、「楽しくなければ教会ではない」という意見が何故出てくるか、ということを考えると、そこには閉塞感を感じる教会の在り方に対する不満が見え隠れしています。「楽しい」という言葉は漠然としていますが、教会に来ても満たされない思いがそこには表現されています。教会に来ても何も満たされない、という思いがあるとすれば、それを放置してよいはずはありません。
けれども、それがただこの世的な楽しみを求めているだけのことであれば、「教会はこの世のサロンではない」と一喝してしまうことも間違いではないでしょう。けれども、その人がどんな楽しみを求めて教会に来ているかをよく聞きもしないで、楽しみに来るところではない、などと言ってしまうのはどうかと思います。それでは、まるで教会は楽しくないところだと言っているようにも聞こえてしまいます。そう答える人は、教会に来て楽しいと思ったことがないのでしょうか。もし、そんな思いで来ているのだとすると、それもまた問題を感じます。
「喜び」と「楽しみ」は別物かもしれませんが、喜びがないのに楽しいと感じることはないでしょうし、逆に喜びがあるのにちっとも楽しくないということもないでしょう。
きょうこれから取り上げる個所には、手紙の執筆の目的が「わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです」と述べられています。喜びが満ち溢れる教会の交わりは、どのようにして得られ、またどんな結果をもたらすのでしょうか。これからヨハネの手紙一を通して学んでいきたいと思います。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 ヨハネの手紙一 1章1節〜4節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
きょうからヨハネの手紙一をご一緒に学んでいきたいと思います。ヨハネという名前がついている通り、ヨハネによる福音書の言葉使いや思想とよく似た個所があります。さきほどお読みした個所にも両者に共通した表現や言葉がたくさん出てきます。たとえば、「はじめからあったもの」「言」「命」「永遠の命」「喜び」「御父と御子イエスとの交わり」。これらの言葉や表現はヨハネ福音書にも頻繁に出てきました。初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。…この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。…わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。