キリストへの時間 2017年4月9日(日)放送

谷脇豊資子(宿毛教会会員)

谷脇豊資子(宿毛教会会員)

メッセージ: 罪が赦されて

 おはようございます。宿毛教会の谷脇豊資子です。
 私たちの教会では聖書通読、つまり聖書を最初から最後まで通して読むことが勧められています。それで、私も旧約聖書の初めから読み始めました。聖書の中に、ときおり理解に苦しむ箇所があります。今回、通読を始め、どうしても理解できなかった最初の箇所を、よく調べ、その結果、教えられたことがありましたので、ここで分かち合わせて頂きたいと思います。

 聖書にはダビデ王という人物が登場します。その召使いに、名前がウザという人がいました。ある時、とても大切な神の箱と言われるものを運んでいました。神様が特別に用意された箱ですので、運び方も特別でした。この箱を、ウザや他の召使いが運んでいたところ、不意の出来事で箱はよろめき、落ちそうになりました。それをとっさに手で支えたウザが、神の怒りに触れてその場で神の裁きにあい死んでしまったのです。自分がウザだったら、同じことをしたと思いましたので、不思議でした。
 この関心を持ちながら二度目の通読を始めたところ、やっとわかりました。それは、聖書には次のように書かれてある箇所がありました。「聖なる物に触れてはならない。触れると死ぬであろう。」また、聖なる物を運ぶ人は、神が選んだ人でなければならないとも書かれていたのです。

 神様がウザを打たれた理由、それは、この神の言葉どおりの人ではなかったからでした。運び方も神様が決められており、箱についている環に、竿を通して肩にかつげと命じていたのですが、ウザは車に乗せ、また他のものと同じように運んでいるのです。ウザは、自分本位で浅はかな思いを持ち、軽率な行動をとっているのです。神の言葉は、まるで力のないただの飾りのようなものと思っていたのでしょう。
 神様は、神の箱は、神ご自身の存在を表すしるしとなさいました。その箱への態度は、神への態度です。ウザは、神の怒りを招きました。
 また、聖書には、他の箇所にも、ウザのように神の箱への軽率な態度をとって、神に打たれた人がいるのです。

 私がこうした箇所を理解できなかった理由を考えてみますと、私は自分本位で浅はかな思いで読んでいたために、理解できなかったのだと思い知らされました。神様に打たれたウザと同じです。本当にそうだと思いました。しかし、ウザは打たれたのに、私は打たれていません。なぜなのでしょうか。
 それは、キリストを救い主だと信じる者の罪を、キリストが十字架で代わりに背負ってくださったから私の罪が赦されていることを、改めて教えられました。

 聖書にはこうあります。「イエスの名によって、あなたがたの罪が赦されている。」(ヨハネの手紙一 2:12)
 罪が赦されているということがどういうことかを知ることができ、嬉しく思います。

 また、この私も、罪赦された上に、神様を「天のお父様。」と呼びかけて、キリストが「アバ、父よ。」と祈られたように祈ることが許されています。神様の一方的な憐れみを教えられました。
 ウザのように軽率に神に近づくのではなく、神への畏れを持ちながら、キリストによって罪赦されている感謝をもって、キリストのように神に親しく、神に近づいて祈っていきたいと思います。

 まだまだ私は自分本位で浅はかな心をもっておりますが、その弱さを放っておくのではなく、神様の御前に一つ一つ告白して、神様がお導きくださることを信じていきたいと思います。
 そして、これからも聖書通読を続けたいと思います。

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