あさのことば 2015年9月23日(水)放送    あさのことば宛のメールはこちらのフォームから送信ください

尾崎純(東洋宣教教会牧師)

尾崎純(東洋宣教教会牧師)

メッセージ: 私たちは招かれています

 いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘にあります東洋宣教教会で牧師をしております、尾崎純と申します。

 私たちの多くは死に思いを馳せることは稀です。私たちができれば蓋をしてしまいたいのが、自分はいつかは死ぬという事実です。
 けれども、ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーは、自らが死ぬべき存在であることを自覚していることが人間という種に固有の特徴であり、それが人間の意識の根源であると言いました。

 確かにそうでしょう。人類に最も近い種であるチンパンジーでも、2時間先のことまでしか考えることができないそうです。自分が「死にゆく存在」として生きていることを自覚できるのは、人間だけです。であるとすれば、死を想わず、そこに蓋をして生きることは、ほんとうの人間らしさを私たちから奪ってしまっているということではないでしょうか。

 聖書は、死は罪の結果であると語ります。聖書で言う罪とはエゴのことです。エゴが人を死に至らしめるのです。けれども、私たちが、エゴから抜け出すことができるでしょうか。できそうにありません。

 聖書はそのような人間に、ほんとうに人間らしい意識を取り戻す方法を教えてくれています。それが、神の赦しを受け取ることです。神は私たちを愛し、罪を赦してくださいました。その神の愛の中を生きるとき、私たちはもう、死に蓋をすることはありません。死ですらも、新しい世界への招きです。どうぞ、その招きを受け入れてください。

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