聖書を開こう 2013年7月4日(木)放送    聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 誤解と配慮(使徒21:17-26)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 新しいことが始まるときには、いろいろな方面からの抵抗に遭うものです。それは仕方のないこととしても、尾ひれがついた悪い噂が広まるというのは残念なことです。もっとも、抵抗に遭うということは、それだけインパクトのある証拠であるかもしれません。
 今学んでいる使徒言行録の記事は、キリストの十字架と復活の時から、すでに二十数年経ったときのことです。キリスト教が新しいとは言えないかもしれません。しかし、多数の異邦人を教会内に迎えるようになったという点では、キリスト教会の新しい発展の段階であったことは間違いありません。
 三度目の宣教旅行から戻ってきたパウロたちは、エルサレムでどんな問題に直面したのでしょうか。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 21章17節〜26節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 わたしたちがエルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで迎えてくれた。翌日、パウロはわたしたちを連れてヤコブを訪ねたが、そこには長老が皆集まっていた。パウロは挨拶を済ませてから、自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われたことを、詳しく説明した。これを聞いて、人々は皆神を賛美し、パウロに言った。「兄弟よ、ご存じのように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています。この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。いったい、どうしたらよいでしょうか。彼らはあなたの来られたことをきっと耳にします。だから、わたしたちの言うとおりにしてください。わたしたちの中に誓願を立てた者が四人います。この人たちを連れて行って一緒に身を清めてもらい、彼らのために頭をそる費用を出してください。そうすれば、あなたについて聞かされていることが根も葉もなく、あなたは律法を守って正しく生活している、ということがみんなに分かります。また、異邦人で信者になった人たちについては、わたしたちは既に手紙を書き送りました。それは、偶像に献げた肉と、血と、絞め殺した動物の肉とを口にしないように、また、みだらな行いを避けるようにという決定です。」そこで、パウロはその四人を連れて行って、翌日一緒に清めの式を受けて神殿に入り、いつ清めの期間が終わって、それぞれのために供え物を献げることができるかを告げた。

 パウロの三度目の宣教旅行は、エルサレムの訪問でその目的を一応終えることになります。というのは、小アジアやギリシア・マケドニアに生れた異邦人教会の信徒たちが捧げた救援金をエルサレムの貧しい信徒たちに届けるという計画があったからです。
 エルサレムに到着したパウロたち一行はエルサレムの教会の兄弟たちから喜んで出迎えられます。翌日、パウロたちはヤコブのところに向かいます。この場合のヤコブは主イエスの兄弟のヤコブのことで、すでにエルサレム教会の指導的な立場の人物となっていました。
 主の兄弟ヤコブについては、この使徒言行録の中にすでに二度登場していますが、一度目はヘロデ・アグリッパ一世の迫害によって投獄されたペトロが牢から出てきたときに、その知らせがヤコブに伝えられるように取り計らわれました(使徒12:17)。
 二度目に登場するのは、エルサレムで開かれたいわゆる使徒会議の時でした(使徒15:13)。この会議でヤコブは会議の決定をリードする主要な発言をしています。
 この主の兄弟ヤコブについて、パウロはガラテヤの信徒への手紙の中で、エルサレム教会の「柱と目される主だった人たち」の一人にその名前を挙げています(ガラテヤ2:9)。またコリントの信徒への手紙一の15章7節で、復活のキリストがその姿を表した人物に名前が挙げられているヤコブも、この主の兄弟ヤコブのことと考えられています。もともと、自分の兄弟であるイエスに対して他の身内の者たちと同様に懐疑的な態度をとっていたことは、福音書の記事にある通りですが(マルコ3:21,31)、復活のキリストを目撃したことが信仰のきっかけとなったように思われます。
 後にエウセビオスの書いた教会史によれば、主の兄弟ヤコブは「義人ヤコブ」とも呼ばれ、ユダヤ人教会において人々からの尊敬をうけていたことがうかがわれます。
 さて、そのヤコブのもとを訪れた時に、パウロは自分を通してなされた異邦人たちに対する神の働きについて報告します。この報告に対して、人々は神を賛美すると同時に、パウロについての悪い噂があることを告げます。それは、パウロが異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、「子供に割礼を施すな。慣習に従うな」と言って、モーセから離れるように教えているというものでした。
 これは明らかにパウロに対する誤解に満ちた噂です。すでにエルサレムで開かれた使徒会議では、異邦人キリスト者とモーセの律法についての問題が話し合われ、決着を見ましたが、それはユダヤ人キリスト者から割礼の義務を免除するというものではありませんでした。パウロもその決定を覆したことはありませんでしたし、むしろ、第二回の宣教旅行の際にはユダヤ人を母に持つテモテに割礼を施したほどでした(使徒16:3)。

 そこでエルサレム教会の人々は、混乱が起こらないようにとパウロに対して、モーセの律法に対して従順であることを示す機会を与えます。それはナジル人の請願を立てた四名の清めの儀式に同行して、その費用をパウロが持つという提案でした。

 ところで、このような提案をするのは誰のことを思ってでしょうか。もちろん、パウロ自身を不当な噂から守るということもあるでしょう。しかし、それ以上に、悪い噂を聞かされているユダヤ人キリスト者のためでもあります。彼らはキリスト教に入信しましたが、モーセの律法に対しても敬意を払っていました。先ほども言いましたが、エルサレムで開かれた会議では、異邦人キリスト者とモーセの律法の問題は話し合われましたが、ユダヤ人キリスト者に対しては、その守ってきた律法の習慣を変えるものではありませんでした。
 ところが、彼らの聞かされたパウロについての悪い噂は、この教会の取り決めからパウロが逸脱しているというものでした。異邦人についての取り決めを、ユダヤ人キリスト者にも敷衍しているというのです。そのような悪い噂は、おそらくは、教会の外部にいるユダヤ人からもたらされたものでしょう。彼らにとってはキリスト教の力をそぐことが目的だったのでしょう。

 エルサレム教会のヤコブや長老たちの提案は、教会の動揺を静め、教会の一致をもたらすための配慮に満ちた提案ということができます。

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