キリストへの時間 2013年6月23日(日)放送 キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

酒井啓介(宿毛教会牧師)

酒井啓介(宿毛教会牧師)

メッセージ: いつも喜んでいなさい 証し

 おはようございます。宿毛教会の酒井啓介です。
 「いつも喜んでいなさい。」というテーマで毎週お話をしてきましたが、今回でこのテーマを終えたいと思います。

 昨年、ラジオで信仰の証しをお話しさせて頂きました。それは、以前バイクの盗難にあった時、神を本気で信じて、一週間後に戻ってくるように祈ると、本当に神は答えて下さった、という証しでした。
 聖書には、「祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」(マルコ11:24)とあり、本当にそのとおりになった経験をしました。

 今朝も、一つの別の証しをお話しさせて頂きたいと思います。
 聖書にはイエス・キリストが語った次の言葉があります。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」(ヨハネ16:23-24)ここで、父とはイエス・キリストの父なる神のことです。

 わたしは牧師になりおよそ5年が経ちます。牧師になる前には牧師の養成学校である神学校というところで学んでいました。そこに在学中、宿毛教会に赴任することが決まって、将来宿毛教会でどういう働き方をすればいいのだろう、と考えていました。知らない土地でしたから色々心配していました。すると、ある先輩からアドバイスを頂き、一緒に働いたり励まし合ったりできる仲間を見つけるといいよ、と言われました。「仲間を見つけるといいよ。」この言葉に励まされて祈り始めました。「神様、宿毛の地で一緒に働いてくれる仲間を与えて下さい。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン」
 現実には、何のあても全くありません。しかし、神は神だから、というそれだけの理由で祈っていました。

 ところで仲間が与えられるようにと祈りながら、どんな仲間を想像していたかというと、牧師の働きを一緒になって助けてくれる人です。牧師は日曜日の礼拝で説教をしたり、水曜日にも聖書のお話しをしたりしますので、同じくらいのことができる人が新しく与えられたらいいなあ、と思って祈っていました。この祈りは期待しすぎかなあと思いながら、祈り続けました。

 神学校を卒業して宿毛教会に赴任してからも祈っていました。特に手応えというものがあったわけではりません。しかし、神は神だから、というそれだけの理由で祈っていました。
 宿毛教会に赴任して数ヶ月経った頃、ある知らせが届きました。愛媛県にある松山教会の牧師がその働きを全うされてお辞めになるというのです。その時は、それ以上の何も思わなかったのですけれど、その後、驚くべき知らせを聞きました。その牧師は牧師の資格を返上し、一信徒に戻って宿毛教会に来られるというのです。そして、知らせを聞いてから間もなく、本当においでになり、宿毛教会のために一緒に働き始めて下さいました。ついこないだまで牧師だった人ですから、日曜日の礼拝の説教や、水曜日の聖書のお話しも手伝って下さいますし、教会の細やかな作業も熱心に手伝って下さいます。仲間というにはあまりにも恐れ多い方なのですが、でも仲間のように親しくさせて頂き、まだ経験の浅いわたしに対して優しく接して下さり、豊かなご経験から多くのことを教えて下さいます。祈りの中で想像していたことが一つひとつ現実のものとなっていきました。期待しすぎかなあ、と思っていたことですが、期待以上のことを神様は答えて下さいました。もう、わたしは嬉しさよりも、不思議さや恐れを抱くほどでした。 「この方こそ、神が送って下さった方。祈りに神が答えて、送って下さった方だ。」そう確信して、心から神に感謝しています。

 神は確かに生きておられ、聖書の言葉も生きた神の言葉だと改めて教えられました。そして聖書の言葉というのは信じるべきものなんだなあと、教えられました。
 新鮮な気持ちになって、もう一度聖書の言葉をお読みいたします。
 「はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」(ヨハネ16:23-24)

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