聖書を開こう 2012年2月23日(木)放送    聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 祈りの集団(使徒1:12-14)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 わたしが16歳の時に、はじめて日曜日の教会の礼拝に出席したときの思い出です。そのときはじめて経験した様々な事柄の中で、一番印象に残ったのは、礼拝前に静かに祈っている教会員たちの姿でした。

 イエス・キリストは「わたしの家は、すべての国の人々の祈りの家と呼ばれるべきである」(マルコ11:17)とおっしゃいましたが、ほんとうにここは祈りの家だと感じました。

 さて、きょう取り上げようとしている個所には、教会がまさに誕生しようとしている胎動期に、祈ってる弟子たちの群れの姿が描かれています。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 1章12節〜14節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。

 先週取り上げた個所には、復活されたイエス・キリストが40日間の後に天に挙げられた話が記されていました。きょうの話は昇天されたイエス・キリストの姿を見送った弟子たちが、山から戻って来る場面から始まります。

 「使徒たちは、『オリーブ畑』と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。」

 この「『オリーブ畑』と呼ばれる山」は、最後の晩餐のあと、イエス・キリストが弟子たちを伴って出か掛けられたゲツセマネの園がある場所でもあります(マルコ14:26,32)。主イエス・キリストは、エルサレムに入城してから逮捕されるまでの日々、その「『オリーブ畑』と呼ばれる山」で夜を過ごされました(ルカ21:37)。その最後の晩に、ゲツセマネの園で祈り終えたイエス・キリストに接吻をもって近づいてきたユダによって裏切られた場所です。
 その同じ場所から、イエス・キリストは父なる神の身許、天へとお帰りになり、弟子たちはそのオリーブ山からエルサレムに戻って来たところです。

 その場所は「エルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある」とありますから、距離にしておよそ九百メートルほどのところということになります。
 ここで二つの問題が起こりますが、問題点だけを指摘して、深入りしないことにします。

 一つはルカによる福音書24章50節以下によれば、イエス・キリストは弟子たちをベタニアの辺りまで連れて行き、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられたとなっています。
 ベタニアはオリーブ山の東側ですから、安息日に歩くことが許される距離を超えてしまいます。もし、使徒言行録が記しているように、安息日に歩くことが許される距離で、主イエスが昇天されたとすると、それはオリーブ山の西側の斜面であったということになります。
 ただ、ルカによる福音書も使徒言行録も同じ著者によって記された書物ですから、矛盾しているとすれば、私たちがその矛盾に気がつくよりも前に、著者自身がその矛盾に気が付いたことでしょう。あえて整合性を持たせようとしていないからこそ、著者の誠実さがうかがえるとも考えられます。

 もう一つの問題は、安息日に歩ける距離ということは、昇天が起こったのは安息日であったということを暗示しているように受け取れます。前回も少し触れましたが、復活したイエス・キリストは40日間、弟子たちと共に過ごされましたから、文字どおりには昇天は木曜日の出来事であるはずです。現在でも教会の暦の上では、主の昇天日はイースターから数えて40日目の木曜日に来ます。
 40という数字を文字通りの日数と取るのか、それとも聖書にしばしば登場する「四十日」(創世記7:4、出エジプト24:18、王上19:8、ルカ4:2)という特別な数と理解するのかによって、その解釈は分かれるでしょう。また、文字通りの日数であるとしても、昇天の日と、山から戻ってきた日が同じ日の出来事でないとすれば、安息日に弟子たちが戻ってきたという使徒言行録の報告も矛盾しているとは一概に言い切れません。

 もっとも、そのような矛盾を気にしていたのでは先に進むことができませんので、これくらいにしておきます。

 弟子たちが戻っていったのは、エルサレムの都にある、家の二階の部屋でした。おそらくこの部屋は最後の晩餐が行われたあの部屋(ルカ22:12)であっただろうと考えられています。そして、復活の主がその姿を現すまで弟子たちが戸を閉じてこもっていた部屋も同じ部屋かもしれません(ヨハネ20:19)。

 そこにはイエスを裏切ったイスカリオテのユダを除く十一人の弟子たちの名前が挙がっています。そこで何をしていたのかというと、「婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」とあります。

 教会の始まりは、まさに熱心な祈りからであったということを教えられます。確かに、彼らがエルサレムを離れなかったのは、復活のイエス・キリストが「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」とお命じになったからです。しかし、弟子たちはそれをただぼーっと待っていたのではありません。約束のものが与えられるまで、祈りによってその日を待ち望んだのです。

 実はこの祈りの姿は、ルカによる福音書が描くイエス・キリストの姿でもありました。

 洗礼者ヨハネから洗礼を受けたイエスの上に聖霊が鳩のように降ったのは、水から上がってイエスが祈っている時でした(3:21-22)。イエスの噂が広まって大勢の群衆がみもとに押し寄せてきた時、イエスはわざわざ人里離れた所に退いて祈りに専念されました(5:15-16)。使徒と呼ばれる十二人の弟子たちを選び出す前にも、イエス・キリストは山に登って夜を徹して祈られました。イエスの姿が光り輝く「山上の変貌」と呼ばれる出来事が起った時も、祈りために山に登り、祈っている時にそのことが起ったのでした(9:28-29)。最後の晩餐の後には、ゲツセマネの園で眠りこける弟子たちの前で、父なる神の御心を求めて祈り続けました(22:39-42)。そして、十字架の上でもなお「父よ、彼らをお赦しください」と祈り(23:34)、息を引き取る時にも「父よ、わたしの霊を御手におゆだねします」とイエス・キリストは祈ったのでした(23:46)。

 この祈るキリストの姿に倣う弟子たちの手に、教会の始まりが委ねられているのです。

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