熊田なみ子のほほえみトーク 2012年5月15日(火)放送

熊田 なみ子(スタッフ)

熊田 なみ子(スタッフ)

一日のはじめに

 新緑の季節、目覚めた時に小鳥が「ちゅん!」と鳴く声を耳にすると学生時代に出会ったY先生が語られた言葉「今日小鳥がちゅんと鳴いたら大丈夫。今日も神様が私達をお守りくださっているのだから」を思い出します。いかがお過ごしですか? 新学期が始まって1ヶ月ちょっと、新しい環境に移り、そろそろ疲れが出たり、いろいろな心配事で辛い子供達もいるかもしれませんね。いえいえ子供だけではない、新入社員だって、子育てママや単身赴任のパパだって疲れてきたかもしれません。子供達も仲間はずれやいじめの中にあって苦しいかもしれません。誰にも話せなくて…。

 私は洗礼を受けて間もない頃、夏のキャンプで、目覚めてすぐに布団の上にひれ伏し、お祈りを捧げるある方の真摯な姿を見ました。私たちの歩みの中で、自分の記憶に残り続ける場面がみなありますが私はその方の神様の前にひれ伏す姿が忘れられません。全てが始まる一日の最初に、まずお祈りがある。HPで聖書日課リジョイスが始まって3年が過ぎました。「朝一番の聖書と祈り」です。
 朝一番にあなたの心を占めるのもは何ですか?最近は占いも流行っているようで、「今日のラッキーカラーは赤、人間関係は…に気をつけなさい。金銭運は…」などと指示されて大切な一日を始めるなんて、自分の主体性がどんどん無くなっていくようで悲しくなります。

 先日リスナーのTさんから久しぶりにお便りをいただきました。便箋と封筒、というスタイルは、メールに慣れてしまったので何だかすごく新鮮に感じますね。お手紙の文字がその人だけのものであるからかもしれません。そこに「この頃はいつ何が起こっても…」とあり、3・11東日本大震災からの心境の変化が書かれていました。日本列島全体が大震災後、揺れが多く、次の大きな地震が予告されますし、原発の恐ろしさを身をもって体験した私たちの生活も様々な変化があります。あたりまえのことがとても有難いものだと気づくようになった、感謝できるようになった、という声をよく聞くようになりました。傷跡は深く、辛い状態の中を今日も生きる多くの方々がいらっしゃいます。家族を助けられなかったその苦しさに、助かったその方が自ら命を絶ってしまったというニュースもありました。大震災、突然の事故、自分の力では防ぐことが出来ない様々な悲しみがあります。しかし、目の前はどんなに暗くても、私たちの弱さに同情し、私たちと同様に試練に遭われた救い主を聖書は語っています。このお方の助けをいただくために大胆に恵みの座に今朝も近づけるのです(ヘブライ4:14-16)。

 それでは、ここで「祈りの花束」(新教出版社)より、歴史の中で生きぬいたキリスト者の祈りをご紹介しましょう。遥かな昔の祈りですが、今日を生きる私たちにも祈りの言葉が迫ってきます。トマス・ア・ケンピス(14世紀の司祭)の祈りです。  くまだなみこ

  一日のはじめに

 一日が何をもたらすか、いったい、誰にわかりましょう。ですから神さま、一日、一日をこの世における最後の日であるかのように生きることができますように。どの日も、この世の最後の日とならないともかぎらないのだということを、私は知っています。やがて死を迎えるときに、あのように生きてこられたらよかったのにと考えるような、そんな生きかたが日ごとにできますように。良心に罪の呵責を感じ、いまだに悔いていない罪を意識しつつ、死を迎えることがありませんよう ただ1人の救い主、贖い主でありたもうキリストのうちに、日ごとに住まうことができますように。

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