聖書を開こう 2011年3月17日(木)放送    聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 福音のために選びだされて(ローマ1:1-7)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 今週からローマの信徒への手紙の学びに入ります。この手紙は、パウロがローマにある教会の信徒へ宛てて書いた手紙ですが、パウロにとって、ローマにある教会はいまだ訪ねたことのない教会でした。もちろん、手紙の結びの挨拶部分を読むとわかる通り、そこにはパウロと個人的に親しい人々もおりました。そういう意味では、まったく未知の教会というわけではありません。
 そのローマにある教会の信徒の宛てた手紙ですが、手紙というよりはその内容はパウロの福音理解を伝え、弁明する論文のようにも見えます。
 きょうはその手紙の冒頭部分を取り上げたいと思います。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書ローマへの信徒への手紙 1章1節〜7節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、…この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。…神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

 このローマの信徒への手紙は、新約聖書に納められた数ある手紙の一番最初に置かれています。それは、この手紙が最初に書かれたからという理由ではなく、分量と言い、内容と言い、一番に置かれるのにふさわしい手紙だからです。
 新約聖書にはパウロの名前を冠した手紙が全部で13通ありますが、その中でもコリントの信徒へ宛てた2通の手紙とガラテヤの信徒に宛てた手紙、そしてこのローマの信徒へ宛てた手紙を、パウロの四大書簡と呼び慣わしています。その四つの書簡の中で一番遅く書かれたのがこのローマの信徒への手紙です。

 パウロ自身がこの手紙の中で書いているところによれば、パウロはこの時期、エルサレムからイルリコン州、つまりバルカン半島の西部、アドリア海沿岸あたりまで福音をあまねく宣べ伝え終えた時期でした(15:19)。そして、今やスペインにまで足を伸ばそうと計画を立てて、その前にエルサレムの教会の貧しい人たちのためにマケドニアとアカイア州の教会で集めた献金をエルサレムに送り届ける予定でした。それからローマに立ち寄って、スペインへ向かうという、とても大きな計画です。(15:22-29)。口で言ってしまえば数秒のことですが、実際にそれだけの距離を移動するとなると、これはとても大変な旅です。そうした労苦を覚悟の上で、このような壮大な計画を持つことができたのは、福音に対するパウロの熱心な思いがあったからこそのことです。そして、そのような熱心を抱かせたのは、福音のためにパウロを選び出した神ご自身にほかなりません。
 ところで、パウロが描いている計画は、ちょうど使徒言行録19章21節に描かれている状況と一致しています。また同じ使徒言行録20章3節によれば、パウロはコリントに三か月滞在していますから、おそらくこの時にローマへの手紙を書いたものと思われます。紀元57年の頃のことです。

 さて、きょう取り上げる個所は、この手紙の冒頭部分ですが、原文のギリシア語では一つの文で成り立っています。

 構造的には、パウロのどの手紙にも共通しているように、差出人がだれであるか(1:1)、手紙の受取人が誰であるか(1:7)を述べた後で、神と主イエス・キリストからの恵みと平和を願うことばが続きます。基本的な構造はそうなのですが、その間に挿入されるような形で、福音について、御子についての説明が続き、話が戻って使徒の働きについての説明が述べられています。

 まず、この手紙の差出人が誰であるのか、ということについて、「パウロ」という書き出しで手紙が始まります。そして、このパウロがどういう人であるのか、紹介の言葉が続きます。
 一つは、自分を「僕」であると紹介します。「奴隷」とも訳すことができる言葉ですが、ここではモーセやダビデが「主の僕」であったように、イエス・キリストに対するまったき服従を言い表しているばかりか、そのような主の僕として神から特別に立てられている自覚と誇りもそこにはこめられています。

 第二にパウロは自分を「使徒」であると紹介しています。「使徒」という称号は、何よりもイエス・キリストが弟子として選ばれた十二人に与えられた呼び名です(マルコ3:14)。この人々は地上にいたイエス・キリストと生活を共にした人たちで、裏切り者のユダは別として、復活のキリストを目撃した証人でもあります。
 しかし、復活したキリストを目撃した人がすべて使徒となるわけではなく、神によって特別に召された人だけがこの職務に就くことが許されました(使徒1:26)。
 それに対して、パウロは地上にいたイエス・キリストと弟子としての生活を共にしたことがありませんでした。むしろ、キリストの弟子たちを迫害する人物でした。そうこともあって、パウロはコリントの信徒への手紙一の15章9節で自分のことを「使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です」と描いています。また、そのためにコリントの教会ではパウロが使徒であることに疑問を抱く者もいたようです(1コリント1:9以下)。しかし、パウロもまた他の使徒たちとは違った経緯ではありますが、神から選ばれたれっきとした使徒でした。

 パウロはローマの教会に自分を紹介するときに「神の福音のために選び出され、召されて使徒となった」と語ります。パウロが福音のために召されたのは、キリスト教会を迫害するためにダマスコに向かう途中、復活のキリストに出会った、あの時であったということができるかもしれません(使徒9:1以下)。しかし、神がパウロを福音のために選び出したのは、実際に召し出すよりももっと前にさかのぼります。パウロはガラテヤの信徒への手紙の中で、神が自分を母の胎内にあるときから選び分けた、とさえ語っています(ガラテヤ1:15)。

 パウロ自身が自分の生い立ちについてフィリピの信徒へ書き送った手紙で語っているところによれば、パウロは使徒として召しだされる前は、「律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした」(フィリピ3:5-6)。神はこのパウロを、そうなる前から選び出し、人の思いを超えた方法でこの人を訓練し、時が熟した時に、人間の思いもよらないところに召しだしてくださるのです。

 「神の福音のために選び出され、召されて使徒となった」と語るパウロの思いは、そのように自分を導いてくださった神への感謝と、またそのように使命を与え、きょうに至るまで導いてくださった神の召しに、忠実に応えようとする心でみちていたことでしょう。その確信があるからこそ、どんな逆境の時にも、地の果てに至るまで福音を宣べ伝えようとする思いを、見失うことがなかったのです。

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