熊田なみ子のほほえみトーク 2011年11月15日(火)放送

熊田 なみ子(スタッフ)

熊田 なみ子(スタッフ)

言葉探しの旅

 時々、人生って言葉探しの旅みたい…とふっと思うことがあります。自分にキラリと光って押し寄せてくる言葉、微笑み番組メモノートのなかに記すことがよくあります。教会では様々な年齢層の方々がいらっしゃってお話しするのでバラエティに富んだことばが行き交います。先日も82歳になるK子さんが、81歳で亡くなられた方を思って「まぁ!まだお若いのにね…」とおっしゃいました。自分の年齢が80代でもまだこれからと思う気持ち。

 また先日、102歳の恩師の先生のお別れ会にいらっしゃった80歳になられるM先生と久しぶりに再会。思い出を語るスピーチで「あと20年、主のために奉仕する人生を送りたい」というものでした。笑顔が輝いて、ハイヒールを履き、海外の国際会議に今年も飛び回っていらっしゃるとのこと。本当に驚きますが、このように生きる先輩の姿を拝見しながら私はしみじみ思わされたのです。高齢化社会の中で「もう○○歳、年をとって何もできなくなった」ではなく「まだ○○歳、これからの私に出来ることは何か」ではないかと。「もう…」「まだ…」この言葉ひとつで随分変わってしまいますね。100歳を迎えられた日野原先生が75歳からの新老人の会を始められたのはもう随分前のような気がしますがこれからますます90歳、100歳の人生を生き抜く方々が増えていくのでしょうか。

 さて、言葉探しの旅をしている私に、先日読んでいた本の中の言葉が心にスッと届いたという経験をしました。その瞬間不思議なことが起こります。きっとあなたも同じようなことがあるかもしれません。言葉は生きていて鋭く自分に迫って来て、忘れることの出来ない言葉として心に刻まれていきます。それは「世界説教・説教学事典」(日本キリスト教団出版局・1999年初版)のある項目を読んでいたときでした。「説教の目的とは死者を蘇らせることである!」と。「説教者は神の言葉のために、神の言葉が聴かれるようになるために存在している。そして、最終的には、聖霊の力によって、教会こそがー説教者たちと会衆がー神の言葉を宣べ伝えるべきなのである。」(P263)とありました。確かに聖書の言葉には力があります。その言葉は「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄を切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。」(ヘブライ4:12)と語られている通りです。

 「本当の言葉が欲しい」と言葉探しをする私たちに、聖書のみことばが迫ってきます。まさに生きる望みのない私たちに生き生きとした希望、生きている真実のみことばが迫ってきます。説教によって新しい自分が誕生するのですね。今年ももうすぐ待降節。今年のクリスマス礼拝は12月25日。救い主イエスさまのお誕生を感謝する時です。いのちのことば、イエスさまをいただいて、一生かかっても極めつくせないほどのいのちのことば、真の神様でいらっしゃる救い主イエスさまを、聖書全体からもっともっと知っていきたいですね。
 「これらのことが書かれたのは、あなたがたがイエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(ヨハネによる福音書20:31)  くまだなみこ

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