熊田なみ子のほほえみトーク 2011年5月24日(火)放送

熊田 なみ子(スタッフ)

熊田 なみ子(スタッフ)

小さな朗読会141「アロンとレビ人」「幕屋の献納式」
(「母と子の聖書旧約上」41-42章)

 ベザレルとアホリアブは、今まで説明したような美しいものを、幕屋のためにみな作りましたが、仕事はこれだけではありませんでした。幕屋は教会の役をするのですから、牧師、すなわち祭司がいて、これもまたその働きに適当な服装をしなければなりません。

 神様は、アロンを大祭司に任命されました。アロンの息子たちもまた祭司になります。アロンが死ねば、その息子たちが彼の後を継いで祭司になり、その息子の子どもたちも代々祭司になるのでした。

 幕屋が出来上がると、ベゼレルとアホリアブは、大祭司アロンのために、美しい衣服を作らなければなりませんでした。アロンの息子たちも、立派な衣服を持つのですが、大祭司のものが一番立派でなければなりません。

 まず第一に、青い布で長い衣が作られました。この裾の周りには、アロンが歩くと鳴る小さな金の鈴が縫い付けられました。この上に、エポデと呼ばれるものを着ます。これは、青、紫、緋色の糸で織られたものです。ベゼレルとアホリアブは、金を紙のように薄く延ばし、それを今度は糸のような細い金の線に切りました。そして、エポデを一層美しくするため、この金の糸を、青や紫や緋色の間に織りいれました。
 エポデには、刺繍をした帯がつけられました。エポデの両肩には、金にはめ込まれためのうが刻まれていました。アロンの胸には、細い金のくさりで肩からつるされた胸当てがかけられました。胸当ての地は、緋色、青、紫で刺繍された四角い布地で、これに12の宝石が金にはめ込まれ取り付けられました。この胸当てはどんなに素晴らしかったことでしょう!いろいろな色の宝石が燦然と輝いていました。

 アロンの頭には、帽子のような白い頭巾がのせられました。この上に金の冠があり、それには、「主の聖なる者」と書かれていました。
 レビ人は、アロンとその息子たちを手伝って、幕屋の世話をすることになりました。することはたくさんあります。いけにえが捧げられた後、銀の食器を全部荒い、はん祭のあとの灰の始末をしなければなりません。また、祭壇の火は絶やしてはならないので、そのためのたき木を切る必要があります。神様がこの祭壇に、天から火を下されたので、昼も夜もその火は燃えていなければならなかったのです。
 イスラエルの民が旅をする時には、幕屋は取り外され、荷造られ、イスラエルの民の行く所へ一緒に車に乗せて運ばれました。これをするのはレビ人の仕事でした。他の人は誰も幕屋にさわってはいけなかったのです。レビ人だけが、幕屋を建てたり取り外したりできました。取り外す時、あるレビ人は幕の始末をし、あるものは、枠や、それを受ける座を片付けました。

 イスラエルの民が動く時、レビ人が幕屋を取り外す前に、大祭司アロンとその息子たちは、聖なる幕をおろして、それで契約の箱を覆わなければなりませんでした。その上に、美しい青い布をのせました。供えのパンの机は緋色の布で、燭台は青い布、祭壇は紫布で覆いました。これらの覆いがかけられてはじめて、レビ人はそれを運ぶことができたのです。

 イスラエルのかしらたちは、幕屋の器を運ぶため、6つの覆いのある車と、それを引くための牛12頭を持ってきました。レビ人は車にいろいろなものを乗せました。しかし、契約の箱、金の机、金の燭台、香壇は、車に乗せられないで、レビ人の肩に担がれました。担ぐ前にまずレビ人は肩を覆いました。

 幕屋のための美しいものが全部できあがると、モーセは、すべてが主の命じられたとおりに出来たかどうかを見直しました。イスラエルの民が、大変上手に、また忠実に仕事をしたのを見て、モーセは非常に喜び、彼らを祝福しました。それからモーセは、幕屋を建てるように人々に命じました。

 まず第一に、彼らは金の板を持ってきて、その横木を銀の座にさして立てました。また、板をまっすぐ立てるため、内側の金の輪に金のさおを通しました。そして、部屋の中央に4本の金の柱を立て、ここに垂れ幕と呼ばれる美しい幕をつるして仕切りました。

 契約の箱がおかれている仕切りの幕は至聖所、仕切りの手前は聖所と呼ばれました。この手前の部屋に、香の祭壇、金の燭台、金の机がおかれました。それから、幕屋の周囲に立てられた青銅の柱に、長い、青、紫、緋色の幕が駆け巡らされ、これで庭ができました。この庭に、アロンが主にいけにえを捧げる大きな青銅の祭壇がおかれました。青銅の洗盤もここにおかれました。磨かれた青銅の柱に吊るされた、見事な色彩の幕に囲まれ、金の器を備えたこの金の幕屋ほど美しいものが他にあるでしょうか。

 イスラエルの民は、どんなに嬉しく誇らしく思ったことでしょう。幕屋が建てられた後、民は皆捧げ物を持って来たがりました。皆さんも知っているように、部族は12ありました。各部族の長が、この幕屋のための捧げ物をモーセに渡しました。神様はモーセに、毎日ひとりずつ、部族の長が捧げ物を持ってくるようにさせなさいと命じられました。
 最初の日には、ユダの部族の長が来て、モーセに大きな銀の皿と銀の鉢を持ってきました。両方共に、主への供え物として、油を混ぜた粉が一杯、入っていました。彼はまた、香の祭壇に供えるため、香料の入った大きな金のさじも持ってきました。酬恩祭のための動物も何頭か備えました。この酬恩祭の他に、ユダの部族の長は、自分の部族の罪のためのはん祭として、雄牛一頭、お山羊一頭、小羊一頭、お山羊一頭を持ってきました。

 こうして毎日、一部族の長が来て、同じものを供えていきました。これは、12の部族の長が来て、同じものを持ってくるまで続けられました。それからモーセは、聖油を各器に少しずつふりかけました。これは油注ぎといわれ、油注がれたものは主に聖別されたもので、神様のご用以外のことに使ってはいけないという意味を持ちます。
 次にモーセは、聖油をアロンとその息子たちに注ぎました。これは彼らが、永遠に主の祭司となるべく聖別されたことを示しました。最後に、モーセは机に供えのパンを置き、燭台の七つの枝に火をともし、香の祭壇でこうばしい香をたきました。全部が終わると雲が幕屋を覆い、素晴らしい光が至聖所に満ちました。神の栄光が、贖罪所の上の金のケルビムの間から輝き出ました。

 このとき以来、神の栄光は、いつも至聖所のケルビムの間から輝き、イスラエルの民は、これによって神様が、民の作ったこの美しい幕屋のうちに、民と共にあることを知りました。神の栄光があまり輝かしいので、モーセ、は至聖所に入れませんでした。誰もそこに入ることは許されません。ここは神様の家で神様がそこにおられます。
 幕屋は、私たちの教会のようではありませんでした。教会のように、人々が賛美したり祈るために集まれる場所ではありませんでした。神様のためのものでした。幕屋が出来たので、神様はイスラエルの民にどうしてほしいかなどとモーセに話される時は、幕屋で語られ、もうシナイ山では語られませんでした。

 また、民は至聖所に入れませんでしたが、美しい神の栄光の光が至聖所に輝いている時には、雲の柱が幕屋の外を覆ったので、神様がそこにおられることを知っていました。神様が民に、他の所に移ることを要求される時は、雲の柱を動かされました。柱は、神様の求める場所に民に先立って動きました。

 雲の柱が幕屋を覆っている間は、たとえそれが一日でも、一月でも、一年でも、イスラエルの民はそこに留まりましたが、柱が動くと神様が導いておられることを知って、民は立ちました。  くまだなみこ

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