BOX190 2010年7月28日(水)放送    BOX190宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄 (ラジオ牧師)

山下 正雄 (ラジオ牧師)

タイトル: ユダヤ人たちが期待していたメシアとは? 東京都 H・Nさん

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りするBOX190。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

 それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は東京都にお住まいのH・Nさん、男性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。

 「山下先生、『十字架のメシア』についての質問に続けて、立て続けにメールを送ってしまいすみません。
 あのメールを送った後、自分の書いたものを読み直してみて、また新しい疑問がわいてきてしまいました。
 前回のメールでわたしは『当時のメシア像はむしろユダヤ民族の政治的解放を実現する民族的政治的メシアであったということもよく耳にします』と書きました。
 確かに色々な人がそういうのを聞いたり読んだりした覚えがあるのですが、文献的な裏付けについて詳しく聞いた覚えがありません。そこで、質問の一つは、何を読むとイエス・キリストの時代のユダヤ人が抱いていたメシア像について知ることができますか、ということです。
 もうひとつの質問は、もし、イエス・キリスト時代の一般的ユダヤ人が抱いていたメシア像が、民族的政治的メシアであるとすれば、ペトロの『あなたはメシアです』と告白した言葉の意味は、何だったのでしょう? ペトロはどういうつもりで『あなたはメシアです』といったのでしょうか? 当時の一般的なユダヤ人が考えていたメシアをイメージしているとしたら、まぎれもなくペトロが告白したのは、『あなたこそユダヤ民族を解放する政治的メシアです』という意味になってしまいます。
 しかし、そうでないとしたら、一体ペトロは一般的なユダヤ人とは違ったメシア像をどこから学んだのでしょうか? そして、そのメシア像は具体的にどんなものだったのでしょうか。
 少なくとも、その直後にイエス・キリストがご自分の受難と復活について語ると、ペトロはそれを激しく否定しましたから、ペトロが抱いていたメシア像は明らかに苦難と復活のメシア像ではなかったということが分かります。
 取り留めのない疑問ですが、一度心に引っかかると放っておけない性分なのでよろしくお願いします。」

 H・Nさん、続けてのメールありがとうございました。H・Nさんのご質問をすぐに取り上げてもよかったのですが、難しい内容が二回続くのもどうかと思い、ひと月ほど間をあけさせていただきました。というよりも、実際には、わたしの勉強不足で調べるのに時間がかかってしまったというのが正直なところです。

 実のところ、H・Nさんのメールを読ませていただいて、その問題提起の鋭さにハッとした思いがいたしました。なんとなく常識だと思っていたことを、改めて考え直してみる機会を与えられて、こちらの方がかえってH・Nさんに教えられた思いがいたします。

 さて、さっそくのご質問の件ですが、まず、イエス・キリスト時代のユダヤ人がどんなメシア像を描いていたのか、そして、そのことを知る手掛かりとなる文献は何かということからお答えしたいと思います。
 結論から先に言ってしまうと、イエス・キリスト時代にユダヤ人たちが残した文献で、メシアについて語っている文献は、そんなにたくさんはありません。そして、ごくわずかしかない文献で語られているメシアは、必ずしも一貫したメシア像で描かれるわけではありません。したがって、当時のユダヤ人には統一的なメシア期待があったとは断言できないというのが実情です。
 もっとも、残っている文献がすべてであるということはもちろんできません。当時のユダヤ人の持っているメシア観がすべて文章として残っているわけではないと考えられるからです。そうであれば、私たちが文献から知りえることは部分にしかすぎません。その中の一つが当時の主流的なメシア像だったのか、それともごく一部の考えにすぎなかったのか、それすらも結論付けることはできません。とにかく今手にしている文献だけで全体像を描くことが可能なのかどうか、という問題点があるということです。
 けれども、確かに現存する文書がすべてを物語っているのかどうかは言えないとしても、存在しない証拠から、何かを導き出そうとすることはさらに危険です。少なくとも手にすることができる文献からは、何も統一的なメシア像を導き出すことができないということは確かなです。ということは、当時のユダヤ人たちが、ひとつの統一された概念でメシアの到来を期待していたのかどうか、そう結論付けるだけの確かな証拠に乏しいということです。

 では、現在の残っている文献でメシアについて語っているものは具体的に何かというと、いわゆる旧約聖書偽典と呼ばれる52ほどの文献のうち、「メシア」という単語が出てくるのは『ソロモンの詩編』、『第一エノク書』のうち「エノクの譬」と呼ばれる部分、『第四エズラ書』、それから『シリア語バルク黙示録』とも呼ばれる『第二バルク書』の四つがそれに該当します。
 それともうひとつの文書群は死海写本と呼ばれる文書です。これについては後で取り上げることにします。

 それでは、先ほど名前を挙げた旧約聖書偽典の中の四つの書物の中で描かれるメシアはどういうものだったのでしょうか。それは軍事的にイスラエル民族を解放する政治的なメシアなのでしょうか。
 確かに第二バルク書の72章6節では、メシアは敵を剣に渡しますが、『ソロモンの詩編』(17:32-40)や『第四エズラ書』(13:8-11)が描くメシアは、剣や馬などの武力に頼らないメシアです。当時のユダヤ人が皆、軍事行動をおこすメシアを期待していたわけではないようです。

 では、その当時のユダヤ人が皆、ダビデの子である、王なるメシアを期待していたのでしょうか。確かに『ソロモンの詩編』と『第四エズラ』に描かれるメシアはダビデの系統を受け継ぐ王なるメシアですが、しかし、『エノク書』のメシアはダビデ王とは結びついていません。

 さて、クムラン教団のメシア観はどういうものだったのでしょうか。死海写本の中に二人のメシアについての言及があることは有名ですが、そのうちのアロンの祭司の系統を受け継ぐメシアの方が優位に経っていることはよく知られています。それは、クムラン教団自体が祭司の系統を継ぐ者たちによって形成されてきたという歴史から、必然的に生じたものだというのがほぼ学者たちの定説になっていました。

 しかし、クムラン教団の文書として知られている170近くの文書のうち、メシアについての言及があるのはほんの数パーセントの文書に過ぎないという事実も知られています。クムラン教団が最初から一貫したメシア観をもった、メシアの到来を期待する教団であったのかどうか、その点すら現在では疑問視されるようになっています。

 すこし、駆け足になってしまいましたが、H・Nさんのご質問、「何を読むとイエス・キリストの時代のユダヤ人が抱いていたメシア像について知ることができますか」ということについては、以上に上げた主な文献を調べればわかるとおりですが、しかし、その当時のユダヤ人が皆、ダビデの子である王的なメシアが、武力をもってイスラエルの回復を成し遂げるというメシア観を共通して持っていたと結論付けることはできません。

 したがって、H・Nさんのもうひとつの質問、「ペトロはどういうつもりで『あなたはメシアです』といったのでしょうか?」といういう質問には、当時のユダヤ人が一般的にいだいていたメシアへの期待がどんなものであるのかが答えられない以上、単純に答えることはできないということです。
 H・Nさんのご指摘の通り、ペトロの告白が「十字架と復活のメシア」を理解していなかったことだけは確かだと思います。
 十字架にかけられ復活したナザレのイエスこそがメシアであることは、まぎれもなく新約聖書が主張していることですが、当時のユダヤ教には見られないこのようなメシア観が、忽然として現れたことは大きな謎です。マタイ福音書の言葉を借りれば「このことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」(16:17)ということでしょう。

コントローラ

Copyright (C) 2010 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.