聖書を開こう 2009年9月10日(木)放送    聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 天に名が書き記されている喜び(ルカ10:17-20)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。木曜日のこの時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 キリスト教会の活動はそれを支える支援者がいなければほとんど成り立つことができません。それはどんな非営利団体にも共通していることです。その場合、支援者に対してどれほど丁寧に活動を報告するかということが大切な要素です。
 しかし、それも度を過ぎると、人間の自慢話になったり、できるだけ感動的な報告ばかりが選り好みされるようになってしまいます。そうなると支援者にも活動をする人にも活動の本質がどこにあるのかうやむやになってしまう危険があります。活動の必要性よりも、感動的な報告が上がる可能性があるかどうかが活動の継続を左右してしまうからです。
 きょう取り上げようとしている箇所には、七十二人の弟子たちが宣教活動から戻ってきて、イエス・キリストにありのままの感動を報告します。その報告を耳にしたイエス・キリストが何をその弟子たちに伝えようとしたのか、そのことをきょうはご一緒に学びたいと思います。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書ルカによる福音書 10章17節〜20節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」

 きょうの箇所は、派遣された七十二人の弟子たちが、活動を終えてイエス・キリストのもとに戻ってきた場面です。その弟子たちは「喜んで」帰ってきたとあります。どんなことが七十二人の弟子たちに喜びをもたらしたのか、そのすべてが詳しく記されているわけではありません。しかし。弟子たちが開口一番に語った報告の言葉から、その喜びがどんなことに由来しているのか、想像することができます。

 帰ってきた七十二人の弟子たちは言います。

 「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」

 自分たちの働きによって悪霊どもが屈服する様子を目の当たりにすることができれば、その感動は言葉では言い表せないほど大きなものでしょう。そういう場面に何度も居合わるような活動から戻ってくれば、それは喜びに満ち溢れているのは当然のことです。
 もちろん、ここで弟子たちは自分たちの手の業を自慢しているのではありません。イエス・キリストの名によって悪霊どもが屈服させられたのですから、この喜びはイエス・キリストと共に働く喜びです。
 また、自分たちよりも先に遣わされた使徒と呼ばれる十二人の弟子達も、同じようにキリストから権威を授かって、悪霊どもを追い出したのでした。その十二使徒と同じように働くことができたことも大きな喜びの一因です。

 活動を報告する七十二人の弟子たちの興奮した様子が目に浮かんでくるような場面です。

 喜びに満ちて報告をするこのような弟子たちに、イエス・キリストはおっしゃいました。

 「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。」

 弟子たちの体験したことは、悪霊どもがイエス・キリストの名に屈服して追い出されるという具体的な奇跡でした。しかし、イエス・キリストがご覧になっていたのは、個々の具体的な奇跡ではなく、その出来事が意味している事柄です。
 イエス・キリストがご覧になったのは「サタンが稲妻のように天から落ちる」様子です。つまり、サタンの勢力は地に落ち、サタンの支配がもはや力を持たなくなりつつある様子をご覧になったのです。
 イエス・キリストが弟子たちに授けたものは奇跡という現象を起こさせる特殊な能力ではなかったのです。そうではなく、「蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威」です。

 「蛇やさそりを踏みつける」という表現はもちろん文字通りの意味ではありません。サタンに対する勝利を象徴した表現です。もちろん、蛇であるサタンを決定的に踏みつけるのはイエス・キリストです。しかし、キリストと共に立つキリスト者もこの業にあずかっているのです(ローマ16:20)

 「だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない」とイエス・キリストはおっしゃいます。これはイエス・キリストの約束の言葉です。しかし、現実を見ると、悪の勢力はいまだにその力を発揮しているように見えます。また、聖書自身もキリストと共に歩む者が受ける苦しみについて語っています(1ペトロ5:8-10)

 天から落ちたサタンの力はくすぶり続けています。しかし、再び力を取り戻してキリストとその弟子たちに勝利することはないのです。世の終わりにキリストが再臨し、神の国が完成するまで定められた時間があるとしても、神の恵みの勝利は決定的なのです。

 さらにイエス・キリストはおっしゃいます。

 「しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」

 この最後の言葉は特に注意をはらう必要があります。「悪霊があなたがたに服従する」というのは紛れもなく七十二人の弟子たちが体験し、文字通り目にした奇跡です。しかし、これから先もずっと同じような奇跡が起ることを期待し、それだけを喜びとするならば、福音宣教の本質を見失ってしまう危険があります。
 神の国の福音は、神が王としての支配をイエス・キリストを通して完成してくださるというよき知らせです。この福音を信じる者には神の子としての特権が与えられ、神の国の完成に先立って既にその名が天に登録されているのです。そのことこそが弟子たちの大きな喜びの喜びであるはずなのです。自分たちが神によって知られていること、そして、神によってその名が既に天の名簿に記されていること、そのことが大きな喜びであり、その喜びが神の国の福音を宣べ伝えていく力なのです。

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