BOX190 2009年10月28日(水)放送    BOX190宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄 (ラジオ牧師)

山下 正雄 (ラジオ牧師)

タイトル: 転職の悩み R・Hさん

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りするBOX190。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

 それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週はR・Hさん、男性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。

 「いつも放送ありがとうございます。
 わたしは、聖日を守るため、一日おきに深夜勤務がある介護タクシーを7年ほどしていましたが、収入が少ないため、介護施設で働こうかと考えています。休日はローテーション制です。
 牧師に相談したところ、体力的・精神的に大変ではということと、聖日を守れなくなるのではということをお話して下さいました。
 月に2回位聖日が守れればいいかなとも思いますが、どうなるかわかりません。水曜の夜に祈祷会もありますが、教会が自宅及び職場より遠いので出席できません(車で45分、近所に教会はありません)。休日に教会を訪れて個人的に御言葉を開いて頂くことはできるかもしれませんが、会員同士の交わりが持てないのでは、信仰が養われないとのことでした。
 召された者は、極力聖日を守れるような仕事に就くべきということは分かりますが、この経済状態のなかではどうしようもありません。
 クリスチャンは休みが不規則な介護や看護の仕事に就けないというのも変な気がします。
 今のままでは、結婚はおろか渡世していくのも大変な状態です。
 私の信仰が試されているのかもしれませんが、何か良きアドバイスがあれば教えてください。よろしくお願い致します。」

 R・Hさん、お便りありがとうございました。お便りを読ませていただいて、切羽詰ったものを感じ、胸が締め付けられる思いがいたしました。
 何よりも悲しく感じたのは、転職を考えざるを得なくなった理由が、経済的な事柄が理由であったと言う点です。同じ時間働いて、得る収入が仕事によって違うと言うのは仕方がないとしても、生活に困るほどの収入しか得られないと言うのは、どこか不公平な感じがします。

 もちろん、社会にとって必要なものほど高い価値があり、必要のないものほどそれに支払われるお金も少ないと言うのは、この世の一般原理です。しかし、どんなに必要とされる仕事であっても、それを必要としている人がその仕事に対して正当な対価を払うことができないという仕事も世の中にはあります。福祉関係の仕事が正にそれに当ると思います。だからこそ、公的な援助や扶助が必要なのですが、世の中の経済が低迷してくると、悲しいかな、その部分が真っ先に切り捨てられてしまうと言うのも現実です。
 福祉関係の仕事を目指そうと言う方たちの、仕事に対する志は一般的に高いものがあるとわたしは思います。しかし、生活苦のためにそれが仕事として成り立たなくなってしまう状況があるというのは、ほんとうに残念でなりません。
 ただ、R・Hさんの場合は、転職と言っても、同じ福祉関係畑を探していらっしゃるのですから、そうした仕事に対する使命感は変わらないのだと思いました。R・Hさんの賜物と使命感とが一番よく発揮できる仕事が見つかるようにと思わずには居られません。

 さて、R・Hさんご自身、今回の転職に関して、既にご自分の通っていらっしゃる教会の牧師先生にご相談をなさっているとのことでした。R・Hさんの教会の牧師先生ほどR・Hさんのことをわたしは知っているわけではありませんから、その牧師先生ほど的確なアドバイスをすることはできません。
 お便りを読ませていただく限りでは、その牧師先生が一番に心配されたことは「体力的・精神的に大変では」ということで、その次に心配されたことは「聖日を守れなくなるのでは」ということでした。
 わたしはその場に居合わせたわけではありませんから、想像でしかものを言うことができませんが、牧師先生が懸念された「体力的・精神的」な心配というのは、案外当っているのかもしれないと思いました。ローテーションの都合で主の日の礼拝を守れなくなる心配よりも、「体力的・精神的な大変さ」から、仕事も教会生活もガタガタになってしまうことを、先生は心配されたのではないでしょうか。
 この心配が当っているのか、まったくの杞憂なのか、R・Hさんのことやこれから就こうと考えている仕事の内容をまったく知らないわたしには判断のつかないことです。

 そのことは、一旦脇へおいておいて、R・Hさんの疑問、「クリスチャンは休みが不規則な介護や看護の仕事に就けないというのも変な気がします」という点に関してだけお答えします。
 人間が生きるという営みは、24時間365日、止めることはできません。夜の間だからといって、時間が止まってくれるわけではありません。日曜日だからといって、急にその日だけ誰の助けも必要なくなるというわけではありません。夜の間も他の人の生活を維持するために働く人がいて、休みの日にも他の人のために働く人がいるということは、避けて通ることができないことです。おっしゃるように介護や看護の仕事はそういう種類の仕事でしょう。医療関係の仕事も、治安を維持する仕事もそうでしょう。そういう仕事にクリスチャンが就職してはいけないというのは、まったくの誤解であると思います。
 もちろん、どんなに人間の営みにとって欠かすことができない仕事であるとしても、一人の人間が24時間365日、働きつづけることはだれにとっても不可能です。ですから、そのためにローテーションがあるのだと思います。問題はそのローテーションが働く人とサービスを受ける人、双方にとってどれだけ合理的であるかということなのではないでしょうか。
 日曜日の礼拝を守ることができないようなローテーションが一日でもあることが分かっている仕事は、すべてクリスチャンのなすべき仕事ではない、と決め付けてしまうべきではないでしょう。
 当然、働く人がたくさん人がいれば、ローテーションのサイクルが間遠になることは言うまでもありません。しかし、たくさんの人が働けば人件費がかさみますから、経営が成り立たなくなってしまいます。そういう計算も含めて合理的である限り、そのローテーションに従って働くことは、たとえ主の日の礼拝を休まざるを得ない状況が生じたとしてもやむを得ないことだと思います。

 もし、R・Hさんの信仰が試されているのだとすれば、それは、そのようなローテーションに従って働くことが、神から自分に与えられた仕事であると確信できるかどうかの信仰が試されているのではないかと思います。その確信が揺らいでいるのに、ただ生活のためにという理由だけで、職を選ぼうとしているのだとすれば、それはこれからの信仰生活にとって、とても心もとないことだと感じます。
 その確信をしっかりと持つことができるならば、きっと限られた時間の中で、充実した礼拝の生活を送ることができるものと確信いたします。
 最初にも言いましたが、R・Hさんの賜物と使命感とが一番よく発揮できる仕事が一日も早く見つかるようにとお祈りいたします。

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