キリストへの時間 2008年12月21日(日)放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

門脇献一(上福岡教会長老)

門脇献一(上福岡教会長老)

メッセージ: 神様の用意された出会い(3)〜神の家族の中で〜

 おはようございます。上福岡教会の門脇です。
 私は大学1年生のクリスマスに信仰告白をしました。仙台教会ではなぜか豚汁と握り飯でクリスマスを祝いますが、そのクリスマスに信仰告白をしましたので、豚汁と握り飯で教会の皆さんに大いに祝っていただき、私は仙台教会の一員としての歩みを始めました。

 あれから30年の月日がたちました。仙台教会での教会生活は、多くの信仰の先輩方にあたたかく見守られつつ送ることができました。年長の方々からは学生の一人暮らしを思いやっての数々の援助をいただきました。特にいろいろな食べ物をご馳走になったり、アルバイトの世話をしていただいたり、生活面でも大いに助けられました。また、同年代の青年たちとは礼拝を共に守るのはもちろん、教会の諸集会や青年修養会、学生修養会に誘い合って参加し、共に学びや交わりにあずかる事ができました。実際に非常に多くの時間を教会で過ごしていたように思います。牧師の吉岡先生は、「日本キリスト改革派仙台教会 教会堂献堂百年を記念して」(2005)という小冊子のなかで次のように記されております。
 「日曜日、青年たちは朝から日曜学校、礼拝、青年会等で一日を教会で過ごし、夕拝に出席して主の日を終わりました。その間の聖書の学び、会話、交わりのすべてが教会の信仰の形成・成長に資したと信じます。」

 私も感謝の思いで同感する次第です。信仰を同じくするものが共に礼拝し、学び、交わる素晴らしさを私は仙台教会で初めて味わうことができたのです。その思い出は今も私の中で大切な記憶として残っております。また、当時同じように教会生活を過ごした仲間たちは、仙台教会から他の教会に移っても、それぞれの教会を支える重要な働きを担っておりますが、そのルーツは仙台教会での青年としての教会生活にあるのではないかと思う次第です。共に礼拝し、学び交わる素晴らしさは、本来すべてのキリスト教会に満ち溢れているものです。そして、それがキリスト教会をいきいきとさせ、教会に集うものの日々の歩みを支え力づけてくれる原動力となっているのです。

 さてキリスト教会では、教会員の自発的な奉仕が求められます。教会員はキリストの教会の多様な働きのどこかを担うのです。仙台教会の一員となった私は、日曜学校の教師として奉仕を始めました。
 日曜学校とは、日曜日の朝教会に集まってくる子ども達に、礼拝や分級をとおして聖書のお話をして福音を伝えるはたらきです。この奉仕も下宿の先輩が日曜学校の教師であったので、そのお手伝いから始まったものです。日曜学校は、自分自身が子どもの時に生徒の立場で経験しておりました。しかし、立場が違うと勝手が全く違いました。いつも子ども達を相手に悪戦苦闘しておりました。時には、なんて生意気なんだ!と頭にくることもあり、また、毎週日曜日の日曜学校の奉仕への準備が億劫になることもしばしばで、今にして思えば、日曜学校の子ども達に申し訳ないと思うのです。しかし、当時の子ども達が今や立派に成人し、教会を支え、クリスチャンホームを形成しているわけですから、どのような不十分な奉仕であっても主が補ってくださり、よく用いてくださると思わされます。
 それ以来教会を移っても、今にいたるまで同じ奉仕を続けていることを思い、また、高校の教員として教育畑の職業に就いたことなどを思うとき、やはり日曜学校の教師として奉仕を始めたのも不思議な主の導きであったなあと思わされます。

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