キリストへの時間 2008年12月14日(日)放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

門脇献一(上福岡教会長老)

門脇献一(上福岡教会長老)

メッセージ: 神様の用意された出会い(2)〜信仰告白の決心〜

 おはようございます。上福岡教会の門脇です。
 本日は前回に引き続いてのお話です。大学生になった私は仙台教会に出席しつつも、まだ信仰告白をしておりません。そこで、どのような出会いをとおして私が信仰告白に到ったかをお話させていただきます。

 私が大学進学のために、高知の実家を離れ仙台に発つ前に、父は、仙台教会の吉岡先生のほかにもう一人の高名な先生に、私のことを「よろしく頼む」とお願いしていました。その先生とは、当時東北大学の法学部教授であった宮田光雄先生でした。それは宮田先生が父と同郷で旧制中学の先輩後輩の間柄であったからだと思います。宮田先生は、御自宅で宮田聖研と呼ばれる聖書研究会を主宰するだけでなく、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」のみことばから名付けられた、一麦寮という学生寮を自宅敷地内に建てられていた先生でした。
 仙台に発つ前に、初めて宮田先生と電話でお話する機会がありました。そのとき先生が「君はなぜ教会に通っていたのですか?」と聞かれました。私は「それは習慣のようなものです」と答えました。「ああそうですか」と先生はおっしゃったのですが、このとき先生は私の信仰や内面の状況を理解されたと思います。先生にとって私は、多くのキリスト教に触れたことのない学生と同様に、一から導く必要のある若者の一人であったのです。

 そしてなんとまた不思議なことに、下宿の先輩たちは宮田聖研の出席メンバーであるばかりでなく、前の年には一麦寮で寮生として生活をしていたのでした。この先輩たちは日曜の午前中は仙台教会の礼拝に出席し、お昼過ぎには自転車で5km以上の大移動をして午後の宮田聖研に出席するという生活を送っていたのです。教会の礼拝出席同様に、先輩方は私を宮田聖研に誘ってくれました。といっても、当然行くでしょうという態度であったかと思いますが。

 そのようなわけで出席するようになった聖書研究会は、私にとっては緊張を強いられる場所でありました。毎週レポーターが一人たてられ、聖書箇所についての研究報告を行い、その後質疑応答というゼミ形式ですが、レポーターになった学生は相当に緊張していたと覚えております。また不用意、不注意な発言は即座に批判されるので、もちろん私は自ら発言しようとは思いませんでした。しかし、司会者に指名されたりすると、一言を発するのにそれこそどきどきしたものです。
 そのような場で宮田先生は、聖書のメッセージを正面から受け止め、誠実に応答するようにと、わけへだてなく一人一人の学生に迫っていたのではないかと思います。聖書の学びを通し、私はそれまでとはまったく違う風に聖書を読むようになったのです。自分についてもまた自分を取り巻く世界についても、ある意味「ひとごと」のように深く考えずに生きてきた、そのあり方が変えられていったのです。宮田聖研に出席することで得られた最大のものは、自分自身の事について、また自分を取り巻く世界に起こる事について、目をそむけず率直にしっかり受け止めること、そして、それに主体的に応答することが人間として必要なことなのだという認識であります。

 はじめて本当に自分自身について目を向けたとき、聖書のみ言葉が自然に私の中に入ってきた、という感じですか。このときに、私の信仰告白の決心は与えられたのだと思います。大学に入学した年のクリスマスに私は信仰告白をいたしました。このようにして、わたしは仙台教会のメンバーに加えられたのでした。

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