キリストへの時間 2006年1月1日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 「何もないことも恵み」

 新しい年を迎え、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。ラジオ牧師の山下正雄です。

 先日娘がこんなことを言いました。「何でもないってことはすごい恵みなんだね」

 そのとおりだと思いました。わたしたちは自分の人生に何か特別なことが起らないかと、ついつい期待してしまいがちです。素敵な出会いがないかとか、思わぬ儲け話が転がり込んでこないかとか、あるいはそんな大きな幸運とまではいかなくとも、せめて日常とは違った何かが起らないかと、そう思ってしまいがちです。

 もちろん、何も期待しないで生きることがよいことだとは言いません。また何か特別なことを期待して生きることが間違っているとも言いません。ただ、特別なことを期待するあまり、平平凡凡な毎日の中で繰り返される恵みを当たり前のこととして見落としてしまうことを残念に思います。

 日々食卓に並ぶ食事、毎日元気に家を出ることができる健康、夜寝て朝目覚めることができる平安、どの一つをとっても当たり前のことでしかないと思う人もいるでしょう。けれども、これらのどれか一つに事欠けば、たちまち苦しい思いをしてしまいます。何か特別なことがおこらないとしても、それでも当たり前のことの中に大きな恵みがあるのです。

 イエス・キリストはおっしゃいました。

 「(天の)父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5:45)

 もし、太陽の暖かさも、雨の恵みも特別なご褒美として人間に与えられるのだとすれば、気が気ではありません。自分だけいつ太陽の恵みが取り上げられ暗い闇の世界に生きなければならないのか、そんなことを考えたら気の休まる暇もありません。ある日突然、正しい者だけが雨の恩恵にあずかるのだとすれば、これもまた心を安んじて過ごすわけには行かなくなってしまいます。自分の行いとは関係なく、正しい者にも悪い者の上にも太陽が昇り、雨が降ることを知っているからこそ、特別に悩む必要もなく日々を平凡に暮らすことができるのです。しかし、これは決して当たり前で当然のことなのではありません。このことの中に聖書の神の恵み深さが表れているのです。日常的な些細なことの中に神の手の働きがあるのです。その神の恵みを日々の生活の中で見出すことができるなら、人生はもっと楽しく素晴らしいものに感じられるはずです。

 きょうから新しい年が始まりました。年が改まって様々な期待や希望に胸を膨らませている方もいらっしゃるでしょう。しかし、その期待や希望を実現できるのも、神の恵みによって、些細なことが整えられているからです。いえ、些細な事柄の中にこそ、わたしたちが見過ごしている神の大きな恵みの働きがあるのです。

 ぜひ、ラジオをお聞きのあなたも、新しい年を迎えて、この神の恵みに目を留めてみてください。きっとなんでもないことに感謝を感じ、日々生きていることに手ごたえを感じることができるようになるはずです。

 最後にもう一つイエス・キリストのお言葉をお読みしましょう。マタイによる福音書10章29節から31節までです。

 「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」  小さな雀にさえ目を留められる神は、あなたの日々の生活のすべてをまもってくださっています。

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