キリストへの時間 2005年4月10日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 「赦しの再確認」

 旧約聖書の創世記は50章をもって終わりになります。その最後の章である50章にはヤコブの死とヨセフの死が描かれます。この二人の親子は相次いで亡くなったと言うわけではありません。たったの一章という同じ短い紙面に描かれた出来事とはいえ、ヤコブの死からヨセフの死までの間には相当な期間が流れています。その相当な期間が流れる間に、色々なことが起ったことでしょう。その起った出来事をいちいち書き記せば、さらに何章も続く物語が出来上がったに違いありません。けれども、創世記はそのすべての出来事を割愛して、たった一つのことだけを印象深く描いています。

 父ヤコブが死に、残された12人の兄弟たちが力を合わせて異国の地エジプトで生活を続けなければなりません。もちろん、ヤコブの子どもたちとはいっても、もう立派な大人たちです。結婚もし、それぞれに大家族を形成しています。「兄弟が力を合わせなければ」というほどの状況ではないかもしれません。しかし、それでもこの兄弟たちには一つの不安がありました。それは弟のヨセフを巡る過去の事件のことでした。

 兄たちはまだヨセフが十代の青年だった頃に、ヨセフをエジプトに売り飛ばし、辛い目にあわせてしまったのでした。それは、もう過ぎたこと、一度は弟ヨセフの口から和解と赦しの言葉をもらったことです。和解してみんなで暮らすようになって17年も時間が経っているのです。

 それでも、お兄さんたちには、父親のヤコブがいなくなった後、不安な気持ちが頭をもたげてきたのです。

 「ヨセフがことによると自分たちをまだ恨み、昔ヨセフにしたすべての悪に仕返しをするのではないか」…そう思ったのです。

 確かに、ヨセフがエジプトで握っている権力は兄たちの力が及ばないほどのものです。ヨセフにその気があれば、兄たちに復讐することだって朝飯前のことだったでしょう。「もしかして」と言う思いに兄たちは気が気ではなくなったのです。

 そこで、兄たちは再びヨセフに自分たちの罪を赦してほしいと願ったのです。そのときヨセフが兄たちに語った言葉が聖書には印象深く描かれています。

 「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」

 ヨセフの立場に立ってものを考えるとすれば、兄たちのしたことは赦しがたいことであったはずです。エジプトに売り飛ばされ、そこで味わった苦労と悲しみを思えば、怒りも込み上げてくるかもしれません。しかし、ヨセフは赦しがたいという気持ちを、真実の神に委ねる信仰によって、とっくの昔に克服していたのです。

 実は赦すことができないという気持ちは、誰かから赦されないと言うことよりも苦しいものなのです、誰かを赦さないとなれば、その過去をいつまでも引きずってしまうのです。

 ヨセフは自分に対してなされた過去の悪のすべてを、全能者である神の御手の中に委ねていたのです。それは万事を益としてくださる神に対する絶対の信頼と確信だったのです。

 過去をいつまでも自分の手で引きずっていれば、自分自身の心からも解放されません。しかし、過去のすべてを神の御手に委ねて赦し、神の御手の中で過去を見るときに、ほんとうの平安のうちを歩むことができるのです。

Copyright (C) 2005 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.