キリストへの時間 2005年4月3日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 「親子の再会」

 おはようございます。山下正雄です。

 創世記には偉大な族長たちの物語が記されています。アブラハム、イサク、ヤコブ。ヤコブについては、しばらく前に連続して取り上げてお話したことがあります。創世記はヤコブの物語に続いて、その息子の一人であるヨセフの生涯に目を注いでいます。この親子は生き別れたまま、何 年も別れ別れに暮らしていたのです。父ヤコブはとうの昔に息子のヨセフは死んでしまったものと思い込んでいました。ヨセフは異国の地で暮らし、自分の父親がどうしているか知る術もありませんでした。この親子が再会するのは、人間の目から見れば全くの偶然です。しかし、すべては神のくすしい計画と導き以外の何ものでもありません。ただ、その時々の瞬間でしかものを見ることができない人間にとっては、いくらそれが神の計画によるものとはいえ、それまでの歳月は辛さと悲しみに満ちていました。

 ヨセフと別れてからのヤコブのことは、ほとんど聖書には触れられることはありません。しかも、残りの人生でヤコブの台詞が出てくる時には、憂いと悲しみに満ちたものがほとんどです。

 「お前たちは、わたしから次々と子供を奪ってしまった。ヨセフを失い、シメオンも失った。その上ベニヤミンまでも取り上げるのか。みんなわたしを苦しめることばかりだ。」(42:37)

 「この子の兄は死んでしまい、残っているのは、この子だけではないか。お前たちの旅の途中で、何か不幸なことがこの子の身に起こりでもしたら、お前たちは、この白髪の父を、悲嘆のうちに陰府に下らせることになるのだ。」(42:38)

 「このわたしがどうしても子供を失わねばならないのなら、失ってもよい。」(43:14)

 こうしてヤコブの台詞を並べてみると、ヤコブの悲しく辛い内面が手にとるように分かります。

 落胆の日々を送っていたヤコブに、息子のヨセフが無事であったとの知らせがもたらされたとき、ヤコブは気が遠くなったと聖書は記しています。信じられないような話だったからです。

 父ヤコブと息子ヨセフはこうして再会を果たします。聖書はこの二人の再会の場面をこう記しています。

 「ヨセフは父を見るやいなや、父の首に抱きつき、その首にすがったまま、しばらく泣き続けた。イスラエルはヨセフに言った。『わたしはもう死んでもよい。お前がまだ生きていて、お前の顔を見ることができたのだから。』」

 ところで、この親子の再会の物語は、ただ、めでたしめでたしというハッピーエンドの感動物語なのでしょうか。確かに、やきもきしながら創世記を読み進めてきた者にとっては、ほっと胸をなでおろすようなお話です。

 しかし、この親子再会の物語の中に、重要な神の言葉が記されています。エジプトに下って、息子ヨセフに会おうとするヤコブに対して、神はこうおっしゃいました。

 「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはあなたをそこで大いなる国民にする。わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す」

 「わたしはあなたを大いなる国民にする」と父祖アブラハムに神が約束されたことが、ヤコブにも約束されるのです。親子の再会はただのハッピーエンドではなく、まさに、神の大いなる約束の続きであり、始まりであったのです。

 人生や歴史を見る時に、この神の約束された計画に心を留めることが出来る人は幸いです。

Copyright (C) 2005 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.