BOX190 2005年11月2日放送     BOX190宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄 (ラジオ牧師)

山下 正雄 (ラジオ牧師)

タイトル: 「リンゴって?」 宮城県 A・Sさん

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

 それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は宮城県にお住まいのA・Sさん、男性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。

 「山下先生、いつも番組をありがとうございます。

 先日旧約聖書の箴言を読んでいたら『リンゴ』と言う言葉に出くわしました。箴言25章11節です。『時宜にかなって語られる言葉は 銀細工に付けられた金のりんご』。

 あれっ、と思ったのですが、リンゴは寒い地方でしか収穫できないのではないでしょうか。そう思って、聖書のあちこちを調べてみたら、雅歌の中にも『リンゴ』という言葉が何度か出てきて驚きました。聖書に出てくるリンゴは、わたしたちの食べているリンゴと同じでしょうか。

 そういえば、アダムが食べた善悪を知る木の実は、リンゴであったという言い伝えを耳にしたことがあります。と言うことは、やはりパレスチナにはリンゴが生息しているということでしょうか。よろしくお願いします。」

 A・Sさん、メールありがとうございました。普段何気なく読んでいると、中々気がつかない問題点だと思いますが、面白いところに気がつれたと思いました。どうでもいい問題だといわれてしまえば、どうでもよいことなのかもしれませんが、そういう発見と言うのは案外気に掛かってしまうものですね。また、そういう細かいところに一旦気がつきはじめると、ますます聖書に興味をもって読む原動力にもなるのではないかと思いました。

 さて、リンゴの話は今まで二度ほど取り上げたことがあるように思います。一つはA・Sさんが挙げてくださったアダムが食べたといわれるリンゴについて、その伝説がどうやってできあがったのかと言うことをお話した時に取り上げました。それから、もう一回はクリスマスツリーの飾りについてお話した時に取り上げたように思います。しかし、A・Sさんのように、聖書の個所を挙げて、直接ご質問してくださったのは初めてのことだと思います。

 そこでまず、箴言25章11節に出てくる「リンゴ」と訳されている言葉ですが、同じ単語は旧約聖書の中かに全部で6回出てきます。箴言に1回、雅歌に4回、それからヨエル書に1回です。この言葉はヘブライ語でタップーアハといいますが、おそらくそれと関係があるタプアという地名がヨシュア記に5回出てきます。(新共同訳では『タプア』と記されますが、『リンゴ』と訳されているヘブライ語のタップーアハと同じ発音です。)。また人名として歴代誌上に一度出てきます。もしこの地名のタプアが植物のタプアに由来しているのだとすれば…たとえば、タプアの産地として知られていたためにタプアという地名がついたのだとすれば、確かにタプアがパレスチナの植物であったという証拠になるかもしれません。しかし、まだタプアがリンゴをさしていると決まったわけではありませんから、ここから直ちにパレスチナでリンゴが収穫されたと結論付けることはできません。

 もちろん、現代のイスラエル人たちがリンゴのことをどういう単語で呼んでいるかということはこの際参考にはなりません。

 では、どうしてヘブライ語でタップーアハという単語をリンゴと翻訳したのかという話になりますが、一つにはヘブライ語の親戚であるアラビア語で、リンゴのことをトゥッファと呼んでいます。音がよく似ているためにヘブライ語のタップーアハはアラビア語のトゥッファと同じではないかと考えられています。

 それともう一つ、古代の翻訳家がヘブライ語のタップーアハをギリシア語に翻訳する時に、リンゴと翻訳していることからも、タップーアハがリンゴをさしていると考えられています。

 さらにもう一つの根拠は、ラムセス二世の頃のエジプトではナイル川のデルタ地帯にはリンゴが栽培されていたという記録があるからです。

 そのためにほとんどの翻訳聖書ではヘブライ語のタップーアハがリンゴをさすと理解されています。

 ところが、植物学者の中には、A・Sさんと同じように、やはりリンゴではおかしいのではないかと考える人たちもいます。特に箴言25章11節に出てくる「金のタプーアハ」と言う表現を重視して、色から推測するにオレンジやアンズのほうがふさわしいのではないかと考える学者もいます。また雅歌4回出てくるタプーアハに関する記述も、リンゴよりアンズと考えた方がより自然だと考える学者もいます。特に雅歌2章3節の「甘い実」というのは野生の酸っぱいリンゴには似つかわしくないということがその理由のようです。

 では、どちらの説が正しいのか、というのは、残念ながらわたしの乏しい知識ではこれ以上、何ともいえない部分です。

 ただ、アダムが食べた善悪を知る木の実がリンゴと考えられるようになったのは、明らかに歴史が浅い伝説だと言うことだけは確かです。わたしの知るかぎりでは、17世紀半ばの文献に記載されたものが一番古いものです。特に有名なのはジョン・ミルトンの書いた『失楽園』の中にアダムが美しいリンゴを食べる話が出てきます。おそらくはその時代よりももう少し前の時代に、善悪を知る木の実がリンゴであったという説は出来上がったのではないかと思います。というのは、16世紀に日本にやってきたキリシタンたちの宣教師が持ち込んだクリスマスの聖劇のなかでは、すでにクリスマスツリーには金のリンゴの実が飾られていたからです。

 では、なぜ善悪を知る木の実がリンゴになったのか、ということですが、ラテン語で「悪い」という形容詞はマルス(malus)と言います。そして、ラテン語でリンゴのことはマールス(malus)と言います。このマルスとマールスの語呂合わせから、いつしか善悪を知る木の実がリンゴになったのではないかと言われています。  ということで、たった一つの「リンゴ」という単語についての疑問でしたが、調べて見ると案外面白いお話でした。日本でのリンゴ生産の南限は山梨県だといわれているようですが、中東ではどの時代にどの範囲にリンゴが分布していたのかを調べてみるのも面白いかもしれません。

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