聖書を開こう 2004年3月25日(木)放送    聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 獄中にあるキリストの僕から(フィリピ1:1-2)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいたいと思います。木曜日のこの時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 きょうから新しい聖書の学びに入ります。今回は使徒パウロがフィリピの教会に宛てた手紙を取り上げたいと思います。パウロと良好な関係にあったこの教会の活き活きとした様子に学ぶとともに、最初のペンテコステの日から4半世紀しかたっていない初代キリスト教会が直面している問題にも目を留めていきたいと思います。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。聖書の個所はフィリピの信徒への手紙 1章1節から2節です。新共同訳聖書でお読みいたします。

 「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから、フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」

 パウロの手紙は、ほとんどどの手紙も同じような書き出しで始まります。それは、ある面では当時の手紙の書き方に則ったものではありますが、しかし、またギリシャやローマの手紙の書き方とは違った独特の面も見受けられます。
 さて、先ず初めに差出人の名前が挙げられます。「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから」とあります。
 新約聖書の中にパウロの名前で書かれている手紙は全部で13通あることが知られています。それぞれの手紙によって、自分を紹介する言葉には若干の違いがありますが、そのほとんどは「使徒」として自分を紹介しています。ところが、この手紙では、自分を「キリスト・イエスの僕」として紹介しています。この言葉はローマの信徒への手紙の冒頭部分にも使われていますが、しかし、ローマの信徒への手紙では、同時に「使徒」としても自分を紹介しています。同じように、テトスへの手紙でもパウロは自分を「神の僕」であり同時に「使徒」であると紹介しています。ところが、このフィリピの信徒への手紙では「使徒」としてではなく「キリスト・イエスの僕」としてだけ自分を紹介しているのが特徴です。
 では、どうして、使徒としてではなく僕として自分を紹介したのか不思議に思われるかもしれません。確かに、旧約聖書では「主の僕」という呼び方は決して自分を卑しめた表現ではありませんでした。むしろ主の僕であることは誇らしいことでもあります。
 しかし、この手紙の内容から考えると、キリストご自身が僕の身分になられてへりくだられたことが模範として描かれているのですから、パウロはこのキリストに倣って、自分をこのキリストに仕える僕として自分を紹介したのでしょう。「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです」(2:4-5)と勧めているのですから、自分が仕える僕として遣わされていることが、すでに手紙の冒頭部分で出てきているのでしょう。
 手紙の差出人はパウロばかりではなく、テモテの名前も同列に挙げられています。パウロの手紙の中で差出人がパウロ以外にも記されているものが8通、さらに、その共同の差出人にテモテの名前が上がっているものが、このフィリピの信徒への手紙を含めて6通です。けれども、パウロとテモテが並列に置かれ、二人ともキリストの僕として紹介されるのはこの手紙だけです。もっとも、差出人としてテモテの名前は挙がっていますが、手紙の中で所々主語が「わたしたち」ではなく「わたし」になっていることからも分かるように、パウロが主に執筆者であることは明らかです。しかし、テモテが手紙の執筆にどの程度関わったかということよりも、この手紙がパウロ個人の名前で出されたのではなく、パウロとテモテと言う共同の差出人を挙げることで、この手紙がただの個人的な手紙ではなく、ある種の公的な手紙であることが明らかとなります。

 次に受取人ですが、「フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ」とあります。
 「聖なる者たち」と言う言い方は、他の手紙にも宛先人として登場しますが、教会の中の特別な人々をさす言葉ではありません。クリスチャンはみなキリストの救いに与って「聖なる者」とされたのですから、ここでは、クリスチャンというのと同じ意味に考えてよいでしょう。
 そのすべての信徒に続く形で「監督たちと奉仕者たち」が挙げられています。ここでいう「監督と奉仕者」が今日でいう「長老と執事」という教会の役職として、この時代の教会にどの程度定着していたのかは定かではありませんが、しかし、ここでいわれている「監督と奉仕者」が信徒としての「聖なる者」たちからは区別された、何らかの主だった人たちであったことは確かです。しかし、その主だった人たちのことが先にではなく、後に述べられているのは興味のあるところです。しかも、わざわざ宛先人としてこの2つの名前が挙げられるのは他の書簡には見られない特徴です。
 このことは、もしかしたら、フィリピ教会の抱えている問題や特色と関係があるのかもしれません。これらの人たちも仕える僕としてわざわざ名前が最後に挙げられているのかもしれません。
 この冒頭の部分は差出人と宛先人を記した形式的な書き出しであり、何気ない一文に過ぎませんが、しかし、この短い文はこれから書こうとしている事柄と密接に関わっているのかもしれません。意図的にこういう書き出しをしているのだとすると、一本の短い手紙とはいえ、その冒頭からして練り上げられていると言うことが出来ます。

 さて、最後にこの手紙がいつどこから書かれたのかと言うことについて簡単にお話しておきたいと思います。
 この手紙が獄中から書かれたものであることは、1章7節から明らかです。しかし、どこの獄中かということは定かではありません。使徒言行録の中にはパウロが監禁された場所として、カイサリアとローマの名前が挙がっています。しかし、この手紙から受ける印象は、それほど離れた場所からの手紙ではなく、もっと頻繁に行き来ができるような近い場所からのものという印象を受けます。しかし、それがどこなのかはやはり想像の域を出ません。仮にエフェソから出されたとすると、パウロがエフェソに滞在したのは紀元50年の半ば頃と考えられます。

 パウロの置かれた状況は「死ぬことは利益なのです」(1:21)と思うほど一時は自分の死を間近に感じていたことが伺われます。しかし、同時に「わたし自身も間もなくそちらに行けるものと、主によって確信しています」(2:24)と述べているところから、解放の兆しが見えているときにこの手紙が書かれたものと思われます。獄中にありながら、なおフィリピの教会を思い、この教会を励まし力づけたいと願うパウロのこの書簡から、続けて学んでいくことにしましょう。

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