キリストへの時間 2004年3月28日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 悲惨な家庭にも

 旧約聖書の人間模様は読んでいて実に奥の深いものを感じます。もし食わず嫌いで旧約聖書を読んだことのない人がいるならば、騙されたと思って是非読んでみてください。鏡で見るように、奇麗事ではない人間のほんとうの姿が映し出されています。

 さて、これからお話するのは、アブラハムの息子家族に起った出来事です。どれほど信仰に満ち、清らかで温かい家庭かと思いきや、それがまったくの正反対で、ややもすればこんな家庭に失望さえしてしまうかもしれません。ただ、あらかじめ言っておきますが、この家族の話を読み終わって心に残るものは、けっして失望感と言うようなものではありません。むしろ、誰もが抱える人間の弱さを、この家族も抱えて生きていたのかと思うと、妙な共感さえ覚えます。

 イサクとリベカ夫妻にエサウとヤコブの双子が生まれます。双子とはいえ、二人とも成長するにつれ性格も体つきも特徴がでてきます。エサウは巧みな狩人で、どちらかというと野性的な人物でした。それに対してヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常としていたのです。このような違いはある意味で喜ばしいことです。双子だからといって、名前が違うだけであとはどっちがどっちでも同じだと言うのではありません。たった一人の大切でユニークな人として生まれ育ってきたのです。
 ところが、この二人の違いが、親のイサクとリベカにとっては、自分の好みの対象としてしか映らなかったのです。父のイサクはエサウを愛し、母のリベカはヤコブを愛したのです。それがそれだけにとどまればよかったのでしょう。しかし、二人の年が進むにつれて、ますます度を越してきます。

 イサクの年がだいぶ進み、目もかすんで見えなくなってきたある日のこと、父イサクは息子エサウが捕ってきた獲物でおいしい料理を楽しんで、エサウを祝福しようと考えます。ところがそれを小耳にはさんだ母のリベカは、イサクの目がよく見えないことをよいことに、計略を用いてまでその祝福がヤコブに与えられるようにと企てます。
 ヤコブは母親の言いなりになって父イサクを騙し、まんまと祝福を手に入れてしまいます。元はと言えば、ずっと昔、長男としての特権を一杯のスープと引き換えに弟に譲ってしまったのはエサウなのですから、父から受け継ぐべき祝福を得られなかったからと言って、腹を立てるようなことでもないかも知れません。エサウの身から出たさびだと言ってしまえばそれまでです。今さらじたばたしても始まらないのです。
 しかし、エサウがまいた種なのならば、ヤコブは騙してまで長男の受ける祝福を今さら手に入れる必要もなかったはずです。黙っていても、放っておいても、神からの祝福はヤコブの上に注がれたはずです。信仰をもって受け取るはずのこの祝福を自分たちの悪知恵と計略で奪い取ったことは決して正当化されるものではありません。

 信仰に反したこれらの行動は、さらに最悪の事態へと展開していきます。腹を立てたエサウは弟ヤコブを憎しみ「父の喪の日がきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる」と豪語します。とても神様を信じる家庭での出来事とは思いたくもありません。

 イサクもリベカも立派な家庭を築くのに失敗した人たちです。子供のエサウもヤコブも歪んだ生き方になってしまいました。いえ、それは特別な家族なのではなくわたしたちと同じように弱さと欠点をもった一つの家族だったのです。
 けれども、その弱さと欠点を持った家族に神は祝福を与えようと忍耐しておられるのです。わたしたちの希望と慰めは、一人の人間の強さの中にあるのではなく、まさに神の忍耐深い恵みの中にあることを覚えさせられます。

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