BOX190 2004年5月5日放送     BOX190宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄 (ラジオ牧師)

山下 正雄 (ラジオ牧師)

タイトル: 「異端とは何ですか?」  神奈川県  N・Iさん

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオをお聴きのあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

 それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は神奈川県にお住まいのN・Iさんからのご質問です。お便りをご紹介します。

 「山下先生、はじめまして。番組をいつも聞かせていただいている者です。私自身はまだクリスチャンではありませんが、キリスト教には大変心を惹かれるものがあり、キリスト教のラジオ番組もよく聴くようにしています。
 そこで、質問なのですが、教会のチラシなどで、○○、○○、○○などとは一切関係ありません、というのを見かけることがあります。そこには3つほど教会の名前が上がっています。
 確かにそのうちの1つは社会的問題も引き起こしているところなので、名前を挙げている理由がわからなくもありません。しかし、他の2つについては、それほど問題でもないのではないかと思ってしまいます。むしろ、彼らの方が熱心に思える場合もあります。
 それはさておき、なぜキリスト教会はこういうことをいちいちチラシなどに書いているのでしょうか。
 また、そこに上がっているグループは『異端』と呼ぶのかどうか分かりませんが、異端と言うのは、どこで区別されるのでしょうか。よろしくお願いします。」

 ということなんですが、N・Iさん、メールありがとうございました。N・Iさんはキリスト教に興味をもっていらっしゃるということですが、それを聞いてとても嬉しく思いました。N・Iさんのおっしゃる通り、教会で配っているチラシにはいくつかのグループ名が記されていて、自分たちはそれらのグループとは違うと言うことが記されていることがあります。初めてそれを手にした人は、きっと変な印象を持つかもしれないですね。何だか対立や抗争でもしているのかと少し恐い感じがして、どれからも足が遠のいてしまうかもしれません。
 まず、最初のご質問ですが、キリスト教会がわざわざそんな注意書きをしているのには、やはりある種の危機感を覚えているからだと思います。特に日本という社会的な土壌を考えると、キリスト教会に対する認識はそれほど高いものがあるとはいえません。ですから、「教会」とか「聖書」と名がつけば、どれもキリスト教だと単純に思ってしまうのはやむをえないことかもしれません。とくに熱心なものには誰しも惹かれますから、本当のキリスト教会から見れば間違った教えに過ぎないものを、聖書や教会のことを教えている熱心な団体と言うだけで、それがほんとうのキリスト教の教えだと信じこんでしまうのは、その人にとっても、キリスト教会にとっても大変困ったことになってしまいます。もちろん、世の中にはカルト的な集団はたくさんあるわけで、人々がそれらの餌食にならないために、キリスト教会のチラシには全部の名前を挙げてもよいのかもしれません。しかし、それが誰の目にも明らかにキリスト教と違っているのであれば、わざわざキリスト教会が注意を呼びかける必要もないでしょう。しかし、キリスト教会を装っている場合には、特別な注意と警戒が必要です。なぜならキリスト教の教えを求めている人たちが、間違って、そのような団体の餌食となってしまう危険があるからです。

 さて、ここで一曲聞いていただいてから、後半へ行きたいと思います。

 ==放送では、ここで1曲==

 さて、きょうは異端と言うことを取り上げていますが、そもそも異端とは何かというと、これは簡単なようでなかなか答えが難しい問題です。というのは、あるものが異端であるというためには、正統的な教えというものが少なくとも前提にあるからです。正統的な教えのないところに異端も存在しないわけです。
 ところで、異端と言う言葉は英語でheresyといいますが、heresyの語源はギリシャ語のハイレシスという単語からきています。この単語は新約聖書の中に9回ほど出てきますが、単に派閥、宗派という意味で使われる場合もあります。使徒言行録の24章5節ではキリスト教の教えは正統的なユダヤ教から見ると「ナザレ人の分派(ハイレシス)」だと言われています。もちろん、今となっては、キリスト教会はユダヤ教とは完全に区別されていますから、キリスト教をユダヤ教の異端とみなす事はなくなってしまったと思います。また、キリスト教会の側でも、自分たちがユダヤ教の正統的な一宗派であるという認識もありません。

 キリスト教会内部で「ハイレシス」という言葉が使われる例として、ペトロの手紙Uの2章1節にはこのハイレシスと言う言葉をこんな風に使っています。

 「あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは、滅びをもたらす異端(ハイレシス)をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました」

 これは異端的教えの特徴を非常によく表しています。それは使徒たちが教えてきた贖いの教えを捨てて、自分たちの主義主張を持ち込もうとするものです。

 さて、キリスト教会の歴史はある意味で、正統的な教えと異端的な教えとを区別する歴史であったと思います。そのようにしてキリスト教会は聖書的なもの、使徒たちの教えに合致したものを選び取り、その純粋性を保ってきたと言えます。その異端の歴史についてここですべてを取り上げる時間はありませんから、手短に現代の異端の特徴を簡単に挙げたいと思います。それは結局はどの時代の異端にも共通したことだと思います。

 その一つは聖書以外に、あるいは聖書に加えて正典的な書物を持つと言うことです。つまり、聖書の十分性や簡潔性を否定して、新しい教えが自分たちにあることを主張することです。
 二番めの特徴は、聖書が教えるイエス・キリストの人間性と神性の両方を認めないと言うことです。
 それと関連して、三番目にはイエス・キリストの十字架による救いの十分性を認めないことです。
 これらの一つでも該当するものは異端と考えた方がよいでしょう。
 考えても見れば、聖書以外に教えの書物を持つと言うことは、それ自体新しい宗教の始まりであって、キリスト教を名乗るのはもってのほかです。さらに、キリストの救いの十分性を否定し、自分たちの教えの必要性を説くに至っては、もはやキリスト教の名に価しないのは言うまでもありません。イエス・キリストの救いを信じるからこそキリスト教なのです。

Copyright (C) 2004 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.