2019年9月10日(火) エゼキエル2章 主に遣わされる預言者


「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの人々、わたしに逆らった反逆の民に遣わす。…たとえ彼らが聞き入れようと拒もうと、あなたはわたしの言葉を語らなければならない。彼らは反逆の家なのだ。」(エゼキエル2:3,7)

 預言者は神から遣わされて御言葉を語る者です。しかし、エゼキエルは素直に御言葉を聞く人びとにではなく、反逆の民に遣わされると言われています。反逆の民もまた神に愛され、導かれた契約の民でした。それにもかかわらず主を忘れ、主に背いて偶像の道に走ったのです。

 主が預言者に与えられた言葉は、「哀歌と呻きと嘆きの言葉」でした(10節参照)。ご自分に背いて滅びに向かう背信の者らに対する父なる神の御心は悲しみと嘆きです。背きの罪のゆえに失われゆく者が救われるようにと願う神の憐れみと愛です。そうであれば、預言者はたとえ相手がどれほど頑なで、反逆の者であろうと主の御言葉を語り続けるのです。

 反逆の民とは誰でしょうか。それは私たち自身に違いありません。私たちはまことの神を知らず、神から離れて生きるものでした。

 主イエスはご自分を十字架につける人びとを指して、「父よ、彼らをお赦しください」と執り成し祈られました。贖われた私たちも新しい預言者として聖霊を注がれ、救いの福音を携えて罪の世に遣わされて行くのです。