2019年9月8日(日) ルカ14章25-35節 わたしの弟子であれ


「だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」(ルカ14:33)

 キリストを主と信じることは、大きな喜びです。けれども、キリストのものであり続けることは、容易ではありません。主イエスは、弟子(信仰者)として一切を捨てる覚悟を求められました。それが、「自分の十字架を背負」うということです(27節)。パウロは、「キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます」と言います(2テモ3章12節)。

 ここまで言われると、悲愴感を覚えるかもしれません。しかし、キリスト教信仰は、自分で頑張るものではありません。主イエス・キリストからすでに尽きない救いの恵みをいただいているのですから、疲れ切ることはないのです。それどころか、かえって疲れている者を回復させる力を、主はお与えくださいます。それゆえ、旧約の預言者も、「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」と信仰を告白しました(イザ40章31節)。

 自分で生み出す力ではなく、主からいただく力によって、健やかに主の弟子であり続けたいと願います。