2019年4月21日(日) ルカ24章13-49節 苦しみから栄光へ


そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」(ルカ24:25-26)

 主イエスが復活された日の夕方のこと、2人の弟子たちはエルサレムを離れてエマオという村へ歩いていました。彼らにとって、主イエスに望みをかけていた日々はすでに過去の出来事となっていました。

 彼らは、主イエスが人びとの手に引き渡され、十字架刑に処せられたことの意味を理解できませんでした。確かに、主イエスの十字架は人間の目で見る限りにおいては「苦しみ」と「死」であり、「敗北」を意味します。十字架は彼らに失望を与える出来事でした。

 しかし、主イエスの苦しみは、預言されていたとおり、人間の理解を超えて「栄光に入る」ことと結びついていました。主イエスの十字架にこそ、「喜び」と「命」、「勝利」があります。

 私たちも、彼らと同じように、「物分かりが悪く、心が鈍く」、信仰の弱い者たちです。彼らは主イエスによって目が開かれ、心が燃やされました。私たちもまた「苦しみ」から、「神の栄光」を見ることのできる者へと変えられます。目が開かれ、心燃やされて、復活の主イエスをほめたたえて礼拝をささげましょう。