2019年4月14日(日) ルカ23章1-49節 悪いことをしていない方の死


「我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」(ルカ23:41)

 主イエスの裁判において、ピラトは「この男に何の罪も見出せない」と言います。そのとおり、主イエスに罪はありませんでした。しかし、人びとは殺人を犯したバラバを釈放し、主イエスの十字架刑を要求します。ピラトは彼らの要求を受け入れ、主イエスは2人の犯罪人と共に、十字架にかけられました。

 主イエスと共に十字架にかけられた犯罪人の1人は、主イエスをののしることしかできませんでした。ここには、自分の罪の報いを拒否し、神をも恨む人間の姿が記されています。一方で、もう1人の犯罪人は、主イエスの無罪を理解していました。

 私たちの救い主イエスは、全くの無罪であるにも関わらず、救いのために罪人の罪の報いを自ら受けてくださった方です。私たちもまた、神の前に罪を犯し続ける「犯罪人」です。しかし、主イエスの十字架によって、罪が赦される道が開かれています。

 「悪いことをしていない方」の十字架刑は誰のためであったのでしょうか。その答えを探し求め、主イエスに身を委ねる者に、主イエスは「永遠の楽園」をはっきりと約束してくださいます。