2019年3月31日(日) ルカ15章1-3節、11-32節 父親の愛


「父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』」(ルカ15:22-24)

 「放蕩息子」の話では、父親の2人の息子に対する愛があらわされます。父親は2人の息子に対して、同じように優しい言葉をかけます。それは2人のことを心から愛しているからです。父親が自分の財産を息子たちに分け与えたのもそのためです。父親が欲しかったのは、息子たちの喜ぶ姿と、息子たちが父親を愛することでした。

 しかし、当の息子たちはというと、父親の愛を全く理解していません。それゆえ、弟息子は放蕩の限りを尽くして与えられた財産をすべて使い果たしてしまいます。兄息子は共に住んでいながらも、父親の息子たちへの愛を理解せず、ただ怒りと憎しみだけがこみあげてきます。

 そのような中で、父親は息子たちが自分の愛を理解し帰って来ることを願っています。そしていざ帰って来ると、「走り寄って首を抱き、接吻し」て、大きな喜びと愛で包みこむのです。

 神は私たちを子として受け入れておられます。そして私たちが神のもとへ帰って来ると、走り寄って首を抱き、接吻して、大きな喜びと愛をもって迎え入れてくださるのです。