2019年3月29日(金) 申命記16章 いつでも初心に


あなたは、主がその名を置くために選ばれる場所で、羊あるいは牛を過越のいけにえとしてあなたの神、主に屠りなさい。その際、酵母入りのパンを食べてはならない。7日間、酵母を入れない苦しみのパンを食べなさい。あなたはエジプトの国から急いで出たからである。こうして、あなたはエジプトの国から出た日を生涯思い起こさねばならない。(申命記16:2-3)

 このところで、神は祭りを通して二つのことを思い起こすよう求めています。一つは神が何をされたか、もう一つはイスラエルが何であったかです。具体的には三大祭りである「過越祭」、「7週祭」(ペンテコステ)、「仮庵祭」について、それぞれ、その祝い方が細かく指示され、祭りの目的が示されます。

 例えば、過越祭であれば「エジプトの国から出た日を生涯思い起こす」とありますし、7週の祭りは寄留者、孤児、寡婦といった、社会的弱者と一緒に祝うことで、自分たちもまた「奴隷であったことを思い起こす」ためであり、仮庵祭では「主があなたの収穫と手の業をすべて祝福される」その事実を喜ぶ、というようにです。

 その意味で、イスラエルの祭りはただの「お祭り」ではありません。昔から今この時に至るまで続いている神の祝福を改めて覚え、自分自身も救われた身であるゆえに弱者に対する正しい振舞いをしているか、顧みる時です。同じように私たちもまた、公的礼拝や私的礼拝において、御言葉によって神の恵み深さを味わい、自分自身を見つめ直します。