2018年11月28日(水) 詩編23編 主が羊飼いとして共に


主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

わたしを苦しめる者を前にしても
あなたはわたしに食卓を整えてくださる。(詩編23:1,5)

 羊飼いは弱い羊をいたわり導く心優しい存在だとイメージされる方が多いでしょう。ただ、羊がさまよい出たなら連れ戻し、狼などが羊を襲おうとしたときには撃退して羊を守る強さもここでは求められています。そこから古代中東では王を「民の羊飼い」とも呼び、羊を守るように民を守ることが期待されたと言われます。

 けれども、世の王たちは与えられた権力を私利私欲に用いてしまい、なかなか民の期待に応えることができませんでした。詩編23編は主なる神こそが「民の羊飼い」と呼ばれるにふさわしい王であると告白します。

 キリストは、「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と言われ(ヨハ10章11節)、その言葉どおり十字架で自らの命を捨て、罪を打ち破られました。

 そして、人を苦しめる者が未だにいる地上でキリストは聖餐の食卓を開き、欠けることのないよう満たしてくださいます。この「羊の大牧者、わたしたちの主イエス」(ヘブ13章20節)の家に生涯とどまるところに、幸いがあります。