2018年7月2日(月) ローマ3章 贖いの恵み


人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。(ローマ3:23-24)

 イエス・キリストは罪なきお方でした。そのお方が十字架につけられて死なれました。十字架は罪の刑罰です。罪なきお方が罪の刑罰を受けられた。なぜそのようなことが起こったのでしょうか。

 イエス・キリストは、私たちの身代わりとなって、十字架の上で尊い血潮を流されました。神の子キリストは私たち罪人のひとりに数えられ、私たちの罪の現実のただ中に入って来られました。そして私たちの死をその身に引き受け、死なれました。

 キリストの死は、私たちのための贖いの死でした。罪の代価を支払うべきは、本当は私たち自身のはずでした。しかし、神は私たちを憐れみ、愛する独り子を十字架に死なせ、自らこの尊い代価を支払ってくださったのです。

 独り子を死なせるほどの愛。この神の愛ゆえに、私たちは罪と死の牢獄から釈放され、自由の身となったのです。ここに命があり、ここに救いがある。天来の言葉、すなわち、天から語られる言葉に教えられることによってのみ、私たちはこの恵みの真理に至るのです。