2018年3月20日(火) 創世記20章 祈りの人にする訓練


アブラハムが神に祈ると、神はアビメレクとその妻、および侍女たちをいやされたので、再び子供を産むことができるようになった。主がアブラハムの妻サラのゆえに、アビメレクの宮廷のすべての女たちの胎を堅く閉ざしておられたからである。(創世記20:17-18)

 20章の場面設定は、読者を悩ませます。文脈を踏まえると、アビメレクの寵愛を受けそうになったサラは90歳を超えています。また、アブラハムが妻を妹と言って欺くのは、12章に続いて2度目です。それなのに、アビメレクはそのことを咎めても、神は咎めてはおられません。では、ここから何を学ぶのでしょうか。

 まずは、神の守りです。神はアビメレクの夢の中に現れ、わたしがサラに触れさせなかったと語り、サラに触れることを「わたしに対して」の罪と言われます(6節)。アブラハムとサラを、神はいかなる中にあっても守ってくださいます。

 つぎは、祈りです。アビメレク家に新しい命が与えられるには、アブラハムの祈りが必要です。アブラハムの祈りは、神の祝福の扉を開く鍵です。ロトのために執り成したアブラハムは、諸国の民の祝福の源となるために、敵対する者のためにも祈ることを学びます。

 神の祝福は、祈りの道を通って、広がります。神の守りと祝福の体験は、他者のために祈る人へと私たちを造り変えます。