2018年3月2日(金) イザヤ38-39章 病を通して知ったこと


見よ、わたしの受けた苦痛は
平和のためにほかならない。
あなたはわたしの魂に思いを寄せ
滅びの穴に陥らないようにしてくださった。
あなたはわたしの罪をすべて
あなたの後ろに投げ捨ててくださった。(イザヤ38:17)

 誰もが、病を避けて生きたい、できるならば、心も身体も健康であり続けたいと願うのではないでしょうか。しかし、病を避けて通ることはできません。治る病もありますが、生涯、闘病生活を強いられることや、やがて死に至る病を患うこともあります。それは大変厳しく辛いものです。

 その一方で、病を経験すると、これまで見えていなかったさまざまなものが見えてきます。自分の弱さや、自分のことを心配し支えてくれる者の愛が見えてくる人もいるでしょう。自分のこれまでの生き方やこれからの生き方を深く見つめ直す人もいるでしょう。そこでいろいろな発見や気付きが与えられるのです。そこで、「わたしが病にかかったのはこのためだったのか」と嬉しくなることもあるのです。

 死の病にかかったユダの王ヒゼキヤは、涙を流して大いに泣きました。病の中で、彼は自分の死とともに、自分の罪が鮮明に見えてきました。しかし、彼は、神がそれを後ろに投げ捨ててくださったことに気付き、心が平安になったのです。病を通して神の恵みを改めて深く知ったのです。