2018年3月1日(木) イザヤ36-37章 何に頼って生きるのか


「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリアの王はこう言われる。なぜこんな頼りないものに頼っているのか。
ただ舌先だけの言葉が戦略であり、戦力であるのかとわたしは言う。今お前は誰を頼みにしてわたしに刃向かうのか。」(イザヤ36:4-5)

 人は、家族や友人、仕事やお金などいろいろなものを頼りにして生きています。その中で何が一番大事かと問われても、すぐに答えることは難しいでしょう。生きていく上でなくてはならないものがたくさんあるからです。

 しかし、キリスト者であるなら、「神を頼って生きています」と答えることができます。「信じていた人が自分を裏切っても、確かだと思っていたものがなくなったとしても、神だけはわたしの前から消えることなく、わたしを支え続けてくださるのです」と告白することができるのです。

 時に、「そのようなものを信じていて本当に大丈夫なのか」と問われて、「これで大丈夫なのか」と不安になることがあるかもしれません。私たちには、信仰が揺さぶられ、神以外のものに頼ろうとしてしまう弱い心があります。

 十字架の主イエス・キリストが与えられているとは、その弱い私たちが神に受け入れられて神のものとされている、ということなのです。私たちは、弱ささえゆだねて、神のみもとに立ち帰ることができます。日ごとに信仰を新たにしていただき、確かな歩みを重ねていきましょう。