2017年12月3日(日) フィリピ2章 クリスマスの心・喜び


キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。(フィリピ2:6-8)

 今週からアドベント(待降節)が始まります。アドベントは「到来」という意味です。教会がアドベントという言葉を使うときは、主イエスの到来に限られます。主イエスの到来を待ち望む期間をアドベントというのです。

 主イエスの到来には二つの意味があります。一つは、主イエスが天からこの地上に人間の姿をとって到来された誕生のことです。主の誕生はすでに起こったことなので過去のことです。もう一つは、十字架にかかり、死んで、3日目によみがえり、天に昇っていかれた主イエスが、再び地上に到来される再臨です。主の再臨は、まだ起こっていませんから将来の事柄です。アドベントは、主イエスの十字架によって与えられた救いを思い起こし、将来与えられる救いの時を待望する季節です。

 再臨を待ち望むパウロは牢屋の中でこの手紙を書きました。この手紙は喜びの手紙と呼ばれています。この手紙に記された喜びは、静かな喜びです。キリストを信じる人は、置かれた環境に左右されない静かな喜びが与えられていることがわかります。アドベントは静かな喜びの中を歩む季節です。